妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

仕事休んだ。罪悪感。不安不安不安。自信喪失。自尊心はまだ残っている。死にたい。というか疲れた。何もやる気しない。


少し落ち着いてきた。戸川純のDVDを見て現実逃避。レキソタン増量。これはいくら飲んでも副作用を感じない気がする。自分に一番合ってる薬だと思うんだ。レキソタン可愛いよレキソタン。紅茶を飲んでまったり過ごそう。俺の戦いは終わった。性格には休戦だな。とりあえずは休息が必要。限界なんてとうに越えて無理を重ねてきたから。でもこのまま死にたくはない。自分に合わないことをしようとできるだけのことはしたつもりだけど結局は合わないものはいつまでたっても合わなかった。ただそれだけ。それで自信を失うことはない。自分に合った生き方をすればいいのだから。俺はよくやったよ。十分結果も残したし人間的にもかなり成長できた。途中で逃げなかった。苦難にあえて立ち向かっていった。格好いいよね。とにかく今は休もう。本能のままに。好きなことだけ。まずは睡眠か。


紅茶飲みながらうとうとしてブランケットの上に吐き出してしまった。どれだけ疲れてるかってことだな。まあ味になるからいいか。雑貨は使い込むほどいい雰囲気になる。


できなかったことに落ち込まずできたことを誇る。全部できなくてもいい。できたところまでは実際できたのだから自信を持っていい。自分に合わない世界で生き続けることに意味はない。でも本当に自分に合わないかどうかはその世界で生きてみないとわからない。そういう意味ではこの数か月間というのは自分が生き続けることのできない世界であると確認できたということが大きな成果である。これだけで十分。満足な結果を出した。確かめたかっただけだから。組織のなかで生きることに自分が向いていないことなんてとっくに気付いていた。自分は普通でない。普通の人間が普通にできることが普通にできない。でもそれでいい。普通の人間に無理に合わせる必要はない。自分らしく生きて自分らしく死ぬ。自分の人生を全うしたい。


普通の人間が決してできないような生き方をしよう。せっかく普通じゃないのだから普通の人間とはまったく違った生き方をしたい。普通の人間と同じ生き方ができない。だとすればどうせなら普通の人間とは全然違う生き方をしたいじゃないか。普通の人間とは違うけど似たような生き方じゃつまらない。自分にしかできない生き方をする。


何が正しくて何が間違っているのかがわからない。どうやらこの世界では生きやすい人間と生きづらい人間がいるようだ。僕はもちろん。波長の合うか合わないかというのは生きやすい人間同士なのか生きづらい人間同士なのかに過ぎないのかもしれない。まあもちろん他にも複雑な要素が絡み合うのだろうけど。先天的なものと後天的なもの。どちらも影響するだろう。波長が合えば好みも合いやすいだろうか。出会いは運命か偶然か。人に限らず物との出会いも重要だ。早く楽になりたい。でもこのままでは終わりたくない。生も死もいらない。


カウンセラー。心理学。病んだ者の気持ちは病んだ者にしかわからない。


人の役に立つことで自分も救われる。そんな仕事ができたらいいのにね。ただ苦痛に耐えるだけの仕事をするくらいなら死んだほうがましだ。


普通のひとができることができない。だったら普通のひとができないことをすればいい。普通のひとができることができない人間は逆に普通のひとができないことができるんだよ。