妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

鬱でも仕事に行けてるひとは軽症なんだろうな。もしくは業務に支障があっても許される環境にあるか。あるいは仕事干されても開き直ってただ文字通り職場に行っているだけか。アトピー患者の間でも軽症だとかいう話は出るけど精神病患者の場合も同様だな。やっぱり仕事できてるうちは軽症だよね。たとえ大量に薬を飲んでいるとしても仕事ができるということは症状が軽いということ。軽症という言葉は実際に今の状態のことを表す。本当は重症だけど薬飲んでいるから仕事に行けるだけで決して軽症ではないなんて考えはナンセンスだ。軽症は軽症。重症は重症。実際の今のこの瞬間の状態のことが重要なのだから。僕は今仕事ができないから重症。やっぱり違うか。よくわからない。てかどうでもいいか。とりあえず休もう。


疲れたなぁ。まったく疲れたよ。人間は無駄に脳が発達しすぎた。本能のまま生きられたらどんなに楽か。余計なことを考えずに済めば生きづらさなど感じないはず。生存本能の欠落した人間はもはや人間ではない。人間らしくないほうが楽に生きてゆけるという矛盾。思考もまとまらないな。何もする気になれない。


自分にも負けず嫌いな部分があるんだなって気が付いた。新たな発見。自分でも自分のことが分かり切っていないのだから他人に自分のことを分かってもらおうなんて絶対無理な話だよね。


レトロ好き。今日も外に出られない。カロリーメイトで凌ぐ。食欲もないし。喉はやたら渇くから紅茶とかウーロン茶とかホットコーヒー牛乳を飲む。


ヤプーズよりゲルニカのほうが好きなひとは通っぽい。大人っぽい。きっといろんな音楽を聴いてきたのだろう。


俺は権利を勝ち取った!!自分の力で人権を取り戻した。逃げなかった。立ち向かった。逆に自信持っていい。俺はエリートなんだぜ。


ある意味予定通りじゃないか。何も問題ない。何をうろたえているのだ。焦らずまったり生きてゆこう。最後に笑えばいい。


読み手聴き手の受け取り方で作品の評価が決まるのだとしたら一定の評価なんてありえないことになる。それぞれが違った受け取り方をするだろうから。特異な事件が起こると犯人の好んでいたものに過激な表現があると作品自体が悪影響を及ぼしたがごとく叩かれるけどそれはまったくナンセンスなんだ。犯罪者自身の解釈で作品を評価したに過ぎない。それだけで有害だとされて作品の価値が下がったり世の中から抹殺されたりすることはあってはならない。無知で単純な興味だけで知ったかぶっただけの評価なんてまったく意味を持たない。たとえそれがきっかけでヒトが殺されたとしても。作品に罪はない。有害か無害かなんて誰も決められないよ。


メロキュアいいね。岡崎さん単独じゃないから敬遠してたんだけどもっと早く聴けばよかった。癒しの音楽で荒療治か。


しぶとく生きよう。周りから見たらふてぶてしいくらいに。図々しいくらいに。それくらいでちょうどよい。でなければ生きてゆけない。この世は弱肉強食。僕らの種が生き残るためには。優しすぎる人間が生きづらいなんて。死にたくなるなんて。そんなことは絶対に。生存本能は誰もが持っているはず。死にたくない。死にたくない。


明日の準備は明日早起きしてやるか。今日はもう眠いから寝よう。おやすみ。