妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

せっかく今朝職場に電話したのにまた明日もするはめになった。昨晩から不快な気持ちになって朝やっとの思いで早起きしてAlice In Chainsを流して無いテンションを無理矢理上げてそこまでして電話したというのに無駄に終わった。仕事が終わらなかった…気持ちがもやもやするので街に出た。カフェでパンとカフェラテ2ショット。少し早めのランチ。なんか街を歩いていたら虚しくなって死にたくなってきた。雪がちらついていて寒い。僕は何をしているんだろう。死んでるのか生きてるのかどっちでもない中途半端な状態。死んだように生きている。生きているように死んでる。まったく異なるけど見た目はおんなじ。


くそ…結局お金さえあれば人間はそれなりに楽しく生きられるのかもしれない。いやお金が最低限あることが最低条件としてあってその上で自分のやりたいこととか自分にしかできないこととか自分らしい生き方をしてそれでやっと楽しく生きられるのか。お金はなくてはならない。だがお金があるだけでは足りない。今の僕にはお金しかない。これがなくなったら何もなくなってしまう。これだけは何としてでも死守しないと。僕は絶対にあきらめない。権力に屈しない。意地でも正当な権利をもぎ取る。僕は正しい!!何も悪くない!!


カフェで音楽を聴きながら小説を読んでいる。眠くなってきたのでカフェラテ1ショットを追加した。千奈美に聴いているのはAlice In Chainsのアンプラグド。読んでいるのは安部公房砂の女。洋楽だと邪魔にならずBGMとして機能する。日本語が耳に入るとおそらく目に映る言葉と競合して集中できなくなるだろう。同時に異なる人間から話し掛けられているようなものだ。今までカフェで本を読んでる人間ってなんか気取っているような感じがして軽蔑していたんだ。家で読めばいいじゃん。何格好付けてんだよ。とんだ勘違い野郎だぜってね。いやぁ間違っていたよ。家で読むのとは違うんだよな。てか家で読む気がしないし。何だろうな。楽しいんだ。カフェで一人でも楽しい。


居心地がいいから。かな。どうせいつか死ぬんだし今日という日をエンジョイしよう。死んだら終わりなんだ。生きている間しか楽しめないんだ。今やりたいからやるだけ。理由なんていらない。人間なんだ。理性も本能もどちらも同じくらい大切。きっと。


そろそろ仕事が欲しいな。先生からの依頼が激しく不足している。頭のアトピーの調子も少しよくなりつつある。昨日と今日は朝汁が出ていなかった。相変わらず寝るときに頭全体が痒くなるし眠っている間に掻きむしっているに違いないのだけれど。汁が出るか出ないかで全然違うんだ。炎症の程度としても。そして何より精神的に。やっと少しずつまた本が読めるようになってきた。外に出たいという気になることが増えてきた。今はボランティアとしてしかできないけれど先生からの依頼をされたい。


決着が着くまで待ってられない。全然進展しない。この問題の解決と並行してあるいは無関係に自分の進むべき道に向かって走りださなければならない。『今』。死までのタイムリミットは人間が思っているより短い。時間はないと思ったほうがよい。気力があるうちに出来ることをやってしまう。その積み重ねが後々生きてくる。今は確かに苦しい。でも乗り越えられる。今までもそうしてきたのだから。


何だかいまいち満足感がないなぁ…満たされない。むしろ虚しいくらいだ。まあ焦ることはない。僕なりに自分のペースで前を向いて少しずつ進んでいけばよい。自分のことは自分が一番よく知っているのだから。苦痛に耐えたら自分へのごほうびをあげよう。その意味でも収入が途絶えることは致命的なダメージになる。何とか正当な権利を取り戻したい。


明日も早起きか。死にたい。