妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

新しい服をおろしたんだけどなんかいまいち気に入らない。お店ではすごくいいと思ったんだけど。駄目だ。たまには失敗もあるよね。しかし服は少なくとも一万は超えるからダメージが大きい。まあ飽きて着なくなることもよくあるし。そう考えると服を買うというのはコストパフォーマンスがかなり悪いな。今回の服は少し風変わりなものだ。長く愛用できる服はベーシックで普遍的なものだ。服にも醒めてきた。また物欲がなくなった。


鬱すぎる…死にたい。何もかも嫌になる。


これだけ気持ちが落ち込んでいるときは外に出ても余計に鬱になる。家を出たときはむしろ外に出たいと思ったはずなんだけどな。駅に向かう途中からおかしくなってきて電車で嫌な思いをして決定的になった。家に帰りたいとは思わない。眠りたい。永遠に。


いつものカフェでクロワッサンと小さなピザとカフェラテ。全然食欲ないけどひとりランチを食べた。食後にレキソタンセディールプラシーボ効果で少し気持ちが楽になった気がする。馴染みの店員さんの明るい挨拶に愛想笑いさえできずに暗い顔のまま言葉を返した。こんなんじゃいまに声を掛けられることもなくなるかもしれない。おれが店員さんの立場だったらこんな陰気な客は嫌だもん。音楽を聴いて何とかテンションを上げようと試みる。しかし眠い。早起きして仕事をして疲れた。トラウマに苛まれながら。これが鬱のきっかけになる。今は先生のこともあるからいつもより悪化しやすいんだろうな。いかに先生が大切な存在か痛いほど実感させられる。やっぱりおれは先生がいないと何もできない。


鼻水が止まらない。急に。くしゃみも出るし少し頭がぼーっとする。鼻炎か風邪か判然としない。苦しい。文字通り息がつまる。寒い気がしたのでカフェラテをもう一杯追加して体を暖めた。今はもう寒くない。夢野久作を読んでいたのだが片手にティッシュを持って鼻の下に当てながらもう一方の手で文庫本を持ってページをめくるのに疲れてきたので音楽だけ聴くことにした。それでもかなり読書ははかどった。もう小説に対するコンプレックスはなくなってきた。漫画しか読めない時期は脱した。心理学の専門書を読めるようになるのもそう遠くないだろう。そうしたら心理の先生ともお話をしてあらゆる意味で可能性が拡がっていくのだ。あくまで主治医は先生であって僕の心の支えは先生であることは永遠に変わらないことだけれど。


鼻水が止まらないから身動きがとれない…そろそろ座っているのも苦痛になってきた。鼻の下に固定された右手もしびれてきた。頭がぼーっとする。一瞬今自分がどこで何をしているのかわからなくなる。体調が悪すぎる。心も体も…


鼻水が止まらない。水のように滴る感じだからアレルギー性の鼻炎だと思うのだが頭がぼーっとするのと寒い感じがするのが風邪っぽくて不安だ。なんか気温自体が低いのかそうでもないのかわからない。洋服を買った。家用のヘッドホンを入れるのによさそうな小さな布の袋も買った。両方とも以前から気になっていたものだ。何かを買わずにはおれないというような心理状態だったので迷いはなかった。他に欲しいと思えるものもなかったし。今日着た服の失敗を取り戻したい気持ちもあった。実際物でも心は満たされる。人で満たされないのだから物で満たすしか仕様がない。本当に欲しいものなら許される。衝動買いは許されないし心も一時的にしか満たされない。カフェの店員さんとの会話は癒される。それが街に出かけて一番の収穫だ。どうやら風邪ではなくやはりアレルギーっぽい。気温の変化に過敏に反応するのだ。たまには自分へのごほうびも悪くない。大切なのは『バランス』。


こめかみからまぶたにかけて、ほおからあごにかけて皮がめくれてうろこのようになっている。さっきネットやってたら突然こめかみがかゆくなって皮をぽろぽろ落としてしまった。部屋のごみ箱の上で服を払うかなしい光景。以前補湿しても意味なかった。逆に刺激になったみたいで思い切りかいて爪の間に皮膚がはさまった。今はかゆみは落ち着いている。結局何もせずに放置しておくのがいい。今日はタートルネックのシャツを買ったのだがボタンの留め方を工夫すれば首がかゆくなることはなさそうだ。去年買ったマフラーも寒くなれば使うことになるだろう。まあ粉だらけになるのは仕方がない。かゆくならなければそれでいい。買い物をして少しは気分が晴れた。たまには物であっても自分へのごほうびは必要なのだ。鼻水もやっと止まった。やはりアレルギーだったらしい。明日はひとりでお留守番。