妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

昨晩と今朝にデパスを飲む。頭痛による。今日は通院日なのに台風だから外に出たくない。でも先生とお話したいことがあるから街に出かける。


ドトールでお昼。モンブランラテと卵とチキンのミラノサンド。チキンが入ってなくて店員さんが気付いて作り直してくれた。僕はこのままでもよかったのですでに半分くらい食べてしまっていた。こういうこともあるんだな。結果的には得?したわけだしまあいいか。店員さんがやけに頭を下げるものだからこちらが逆に恐縮してしまったよ。クレーマーなら怒るのかな。僕の気持ちは落ち着いている。


心は近くても実際の距離は遠い。これはつらい…心は遠くても実際の距離が近いほうがうらやましい。でもそれは上辺だけの付き合いだから。本当はかなしいもの。深いところまで考えない人間であれば楽しめるかもしれない。しかし僕はそういう人間ではない。心も実際の距離も近い関係なんて理想にすぎないのかもしれない。ましてや患者と医師の間では不可能なのではないか。やはりどうしても僕は患者。患者は患者でしかない。それは認めなくてはならないのかもしれない。信頼関係を築いても先にあるのは絶望なのだろうか。先生との関係が苦しい。先生なしで生きていくのか。心理の先生に相談してみようか。おそらくこんな相談は初めてだろう。何かがおかしくなってきた。何かが壊れかかっている。結局みんなひとり。ひとりで生きていかなければならないのだろうか。


先生と遊ぶとしても先生が無理をするならば上辺だけの付き合いと変わらなくなってしまう。これではせっかく遊んでも楽しくない。僕も最近先生と遊びたいという気持ちが醒めてきた。もう諦めたというかどうでもよくなった。万が一先生のほうから遊びたいと言ってきたらそれはもちろんうれしいしテンション上がるだろう。しかしそれは無理だと知っている。そんなことありはしないとわかっている。結局僕はひとり。


今日の先生はやけに現実的だったな。上辺の付き合いができないから僕は社会で組織で生きていけないのだ。先生のように割り切って考えることができれば復帰できるかも知れない。というよりそうなれば復帰しなくてはならなくなるだろう。まあプライベートと仕事を同じに考えることはできないけど。もうこんな話したくない。先生と楽しいお話をしたいのだ。診察時間だけの関係と割り切って楽しめればそれでいい。もうこんな苦しい思いはしたくない。僕は先生に対して気持ちの整理をつけるよ。診察時間だけは友達の関係でいよう。それ以外はひとりで生きていく。


ドトール→精神科→カフェ→ドトール。電車の待ち時間にカフェラテ。早く帰るつもりが結局遅い時間になってしまった。いい冬服が入荷していたのでお取り置きしてもらった。試着もしてすっかり気に入った。パンツも欲しかったものが僕のサイズで置いてあったので、これもお取り置き。合計6万近いな。しかしふたつで2万と4万なのとひとつで6万なのとでは全然違うのだ。なんか物欲が出てくると気力も出てくる。テンションが上がる。先生との関係についての苦悩もどうでもよくなってきた。また楽しくお話ができそうな気がしてきた。単純なものだ。シンプルに単純に生きていくことが楽しく生きていくことに繋がるのかも知れない。僕はまだまだ楽しく生きていける!自信と可能性が出てきたのだ。すべては自分の脳内で起きていること。自分でいくらでも変えていける。


先生のお話は一応の納得はできたからとりあえず安心した。そこまでして無理してまでやることなのだろうかという疑問が残ったけど。上辺だけの付き合いは長続きしないと思う。嫌な部分が楽しい部分よりも大きくなったらおしまい。すべてが楽しいなんてことはないような言い方をしていた。そんなのは理想に過ぎない。現実はそんなものじゃないと。でも僕は信じたい。実際僕と先生が遊んだら絶対に楽しい理想に近い状態になると思うし。試しに少しの時間でもいいから遊んでみようか。それで何かが生まれることはあっても壊れることはないと思うから。今しかないんだ。今の僕には時間だけはあるんだ。僕と遊ぶ気が進まないのなら誰か僕に紹介して下さい。遊び相手でも相談相手でも家庭教師でも何にでもなるから。人恋しい季節ですから。


いつのまにかお節介になっていたかも知れない。先生から相談されて初めて僕は考えることを許されるのに。先生にとって僕という存在が重すぎる、鬱陶しいものになってしまうかも知れない。僕は自分のことを考えていればいい。先生に助けを求められたら先生のことを考えればいい。自分のこともろくにできもしないくせに出しゃばり過ぎた。先生は僕の心の支え。僕はたまに先生の支えになれればそれで十分だ。僕は自惚れていた。僕は先生がいないと生きていけない。僕には先生しかいない。