妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

すべては僕の脳内で起きていたことだったんですね。自分を見失って被害妄想がひどくなり、ネガティブなほうにしか受け取ることができなくなっていた。今はようやく気持ちが落ち着いて、自分を客観的に見ることができるようになってきた。見えなかったものが見えるようになってきたんです。


『公私混同』は僕にも言えることです。医師と患者という公の関係。友達のような私の関係。僕は診察室を脳内世界にあるものと考え、先生を脳内世界の住人だと考えました。だけど現実世界でも先生と関わりたくて、友達になりたいとか遊びたいという気持ちが強くなっていきました。その結果僕は公と私を区別することができなくなったのです。依存よりも公私混同が問題だったのかも知れない。
今でも僕は友達になりたいとか遊びたいという気持ちはあります。でも今までとは違う。患者であるという意識が強くなった気がするのです。診察室は脳内世界にあると考えることは、公私混同を避けるという意味では有益かも知れません。診察室では患者に徹するのがいいのかも。だけど現実世界でも関わりがないと難しいだろう。その辺りは自然にまかせたほうがよいのだろうか。あるいは現実世界で先生ではないひとと関わりを持つ。それが理想的であり、かつ現実的なのかも知れない。まあそれが難しいからこそ、現実世界でも先生と関わろうとする気持ちになるわけだが…


雨の日は憂鬱…何もする気にならない。新しいことなんか絶対に無理に決まってる。そんな考えになるから、心を空っぽにして何も考えないようにする。すべては自分の脳内で起きている。それならどんな場所でも適応することができるのだろうか。どんな場所でも自分の脳内で、自分に合った自分の居場所にすることができるのだろうか。現実世界を自分の脳内世界に取り込んで、自分の色に染めることなんてできるのか。この世界を自分に合うように、自分が生きやすいように変えることができるのか。考え方次第というのとは違う。そんなものとは別次元なのです。


ニュースとか聞きたくない!テレビもラジオもネットも有害情報だらけ。発狂しそうになる。家族は理解してくれないから、さっさと夕食を終えて耳を押さえながら自分の部屋に逃げ込んだ。音楽を流して気持ちを落ち着ける。早食いしたせいか胃が少し痛む。気持ちが不安定なときは、些細なことが心を蝕むから気を付けないと。周りが理解しないから自分で動かなければならない。誰にも期待しない。期待するのは自分だけ。