妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

ひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたいひとりになりたい


昨晩は顔が痒くて起きた。手も痒くて血だらけ。冬からずっと、ぱっくりかまいたちのように割れた箇所がなくならない。寝る前から顔は痒かった。やっぱり普通に生きることはできないと思った。
いらいらして仕様がない。いらいらできる気力はあるということか。そんな気力はいらない。発狂寸前。デパスを飲もうか。何もかもめちゃくちゃに壊してしまいたい。自分さえも。もうすべてが嫌で嫌でたまらないんだ。痒みは気力を奪い、そのくせいらいらさせる。痒みという感覚なんてなくなればいいのに。何の意味があるというのだ。外的な要因があっては、自分の気持ちを制御することなんて不可能だ。僕は人間なのだから。プログラム通りには動けない。


やばい…頭が重すぎる。何も興味がない。何も楽しくない。無関心。無感情。うまく歩けない。悪い意味で頭の中が空っぽ。無。何もない。もはや人間でない。生ける屍のよう。明日は早起きできるだろうか。仕事ができるだろうか。街に出られるだろうか。分からない。今は何も分からないよ。


やはり仕事は通院日にしようか。通院日なら楽に早起きできるし。何より仕事をした後、すぐに先生に癒してもらえる。明日は早起きして街に出かけよう。今は体調が悪すぎる。わざわざこんなときに仕事をすることもない。楽しいことだけ考えるんだ。仕事をしないと決めただけで、こんなに気持ちが楽になった。
無理をしなければならないときは無理をする。でも必ずしも無理をする必要のないときは無理をしなくてもいい。いや無理をしないほうがいい。特に鬱が悪化しているときは、無理をしてはいけない。自分の判断は自分が責任を負うのだから、他人にとやかく言われる筋合いはないのです。自分のことは自分で決めるだけ。誰にも期待することはない。結局のところ、ひとりで生きていくしかないのです。