妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

今晩もいつものようにおでこからこめかみにかけて痒い。十一時頃から一時間近く我慢しても治まらないので、冷たい水で顔を洗ってきました。効果はあるのかないのか微妙なところです。でも少ししたら痒みが治まってきた気がしないでもない。何でいつもこの場所から痒くなるのだろう。そしてここから痒みは広がる。結局痒くなるところは最初は何ともないのに。まずいつものところから始まる。そのとき結局痒くなるところは潜在的な痒みがあるということなのか。いつものところを掻くことで、結局痒くなるところにある潜在的な痒みが誘発されてしまうのか。結果として広い範囲を掻いてしまうことになる。この悪循環を断ち切るにはどうしたらよいのか。いつからこうなった。どうしてこうなった。正直しんどい…


明日に期待しないで今日を生きる。死ぬまでその積み重ね。他人に期待しないで自分に期待する。無理をしなければ生きていけない。病気持ちであることを常に意識する。たいせつなことだと思う最近の僕の考えをただ羅列して眺めて自己満足。先生に僕の考えたことを話したい。先生と僕の考えたことについてお話したい。今日のテーマは何?僕はいつも用意していくんだ。先生と楽しいお話をするために。


現在午前二時半。起きたのは一時四十五分頃だろうか。掃除に時間をとられたようです。顔と頭を掻いて起きました。ついでに首と耳も掻きました。冷たい水で顔を洗うのは無意味だったみたい。何とかできるだけ軽く掻くように意識したので、被害はまあまだましなほうで済みました。というか何がましなのか、正直もうよくわかりません。これだけ毎晩のように続くと変な慣れが出てくるみたいで、あまり精神的なダメージを受けずに平気でいられるようになってきた気がします。慣れるほど当たり前のようになってしまっている。掻いているときに頭のなかは職場のトラウマでいっぱいでした。
もう逆に慣れて平気になってしまったほうがいいのかな。本当に平気でなんかいられないよね。実際つらいです。慣れは確かにあるけど苦痛がなくなるわけじゃない。苦しいことには何ら変わらないのです。痒みに痛みが加わって苦痛がより大きなものになりました。眠りかけていたとはいえ、まだ意識があるうちに掻いてしまったことは自分を責める理由になります。痒みに耐えきれない弱さに自己嫌悪になる。これは無意識のなかの意識だったのかも知れない。けれど意識がある以上自分のせいにすることは免れ得ないでしょう。不思議に泣きたい気持ちにはなりません。もうそんなレベルはとっくに超えてしまったのです。何かを感じる気力さえ失った。無気力による無感情です。