妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

早く起きたので街に出てきました。ドトールに来てます。ミラノサンドBとアメリカン。ミラノサンドBは初めて食べました。なかなか悪くない味です。もっと癖があって食べにくいイメージだった。肉はあまり食べる気がしない。たまに食べるくらいでいい。食事制限は緩やかにしました。体重はなかなか戻らないけれど、栄養不足が解消されて体が動くようになってきた。摂食障害は免れました。僕には先生がいる。唯一の理解者であり心の支え。そんなたいせつなひとから信頼されている。自信を持っていい。僕はエリート。少しくらい調子に乗ってるくらいでちょうどいい。僕は道に迷っている。そのときが来るまでさまよい続ける。今はとても苦しい時期。しかしきっと乗り越えてみせる。僕は強い。


いつものカフェに来ました。クロワッサンとジャガイモの入ったパンとラテで憂鬱なひとりランチ。仕事までの一時間を過ごします。途中クリニックに寄ったら今日は診療日でした。先生はがんばっている。診察時間を延長するというお知らせが貼ってあった。やはり先生はがんばっている。気持ちに余裕が出てきたのかな。先生早起きできるのかちょっと心配…先生ががんばっているのなら、僕もがんばらない訳にはいかない。先生とお揃いでがんばります。街はやけに華やいで見えて、僕にはあまり眩しすぎて苦しい。先生と薬に頼って仕事を片付ける。


食後にレキソタンデパス。これで安心です。僕の御守り。レキソタンはピンクでなければならない。何mgとかそういうんじゃなくてピンクだからよいのです。薬は飲みたいと思って飲まないと効果がないように感じる。プラシーボが大きいと思うから。紆余曲折を経て今の処方にたどり着いた。お薬をうまく使って、この不条理な世を生き抜いていきたい。


カフェの外の庭で仕事をした。やるときはやる。自分を誉めてあげたい。内容はどうでもいい。とにかく仕事をしたかどうかだけが問われるのです。だからやるべきことさえやっていればよい。延命措置のようなものです。選択肢は最期まで残しておきたい。
再びカフェに戻ってきました。ラテをおかわりしてブリオッシュと一緒に楽しむ。仕事をした疲れを癒します。平気なふりをしていてもやはり精神的な疲労は隠しきれない。今日も先生のお陰で無事に仕事を終えることができました。ありがとうございます。これでしばらくは自分の道に没頭することができそうです。気力は戻ってきている。できるときにできるだけのことをしておくのがいい。すべては生きるため。生存本能。理性だけでは生きられない。本能と理性のバランスが重要なのです。


やるしかない。考えるより行動しなければならない。いや正しくは考えながら行動する。行動を伴わない考えは机上の空論に過ぎない。無意味ではないけれど現実的ではない。


選択肢は多ければいいってものではなさそうな気がしてきた。余計に迷いが生じる。どれも中途半端になる危険性がある。今は二つの道があれば十分かも知れない。無理に新たな道を作る必要はない。自然にできた道ならば問題ないのだが。逃げ道はいらない。廻り道はしても構わない。たまには寄り道してもよいだろう。とにかく後ろを振り返らず前に進むしかない。


気力が戻れば悪趣味なものも楽しめるようになるだろうか。刺激的なものは気力がないと楽しめない気がする。癒しを得られるようなものは無気力でも楽しめる感じがする。むしろ気力があるときは刺激的なものでないと物足りないかも知れない。刺激と癒しのバランス。できるだけ多くのものを好きになって、なるべくたくさんのものを楽しみたいと思う。そしたら人間味がより増すような気がするのです。死ぬまで人間らしい人間でありたい。


また覚醒してしまったかな…よいのか悪いのか、今はまだわからない。


現在午前1時34分。頭を掻いて顔を掻いて起きた。被害は極めて微小。しかし痒くて掻いて起きたことは事実。なのでここに記さないではおけないのです。もし眠気が強ければ、掻いたことにも気付かずに朝まで起きなかった可能性も低くないように思われる。前兆はありました。覚醒したのも束の間、一気に自信をなくします。完璧を求めても苦しくなるだけです。ある程度は妥協しなければならない。前向きな諦めも大切なこと。まだ顔が痒い。掻き始めると痒みが拡がる。痒くなったら被害を最小限に留めるしかない。まだ結論を出すのは早い。少しずつしかよくならないし、実際少しずつよくなっているはず。今日は仕事をして精神的なストレスを受けた。仕方ない。痒みが気力を奪う。僕はできることをやるしかない。悔いのないように最期まで闘い続ける。それだけです。