妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

先生の依頼があれば、間接的に精神医療に携わっている気分になれる。今の道を進んだとしても時間的な余裕は僕のほうがある。ただ精神的な余裕はなくなってしまう可能性が高い。もうひとつの道を進めば自分のやりたいことができるはず。そうなれば精神的な余裕もあるだろう。しかしハードルは高い。そのときが来れば分かる。そのときが来るのが怖い気がする。この恐怖から逃れるためには、やはり今できることをやるしかない。前向きな現実逃避と言えるかも知れない。


僕にはリスクを負う勇気がないのです。生きていくためには妥協しなければならない。やりたくないこともやらなければ生きていけない。すべてを悟ってしまえば楽になれるだろうか。悟りの境地とは人間らしさを超越したところにあるのかも知れない。


現在午前2時12分。顔が痒くて眠れない…こめかみからおでこにかけてと、こめかみ付近の髪の生え際と、眉毛の辺りを掻いて起きました。被害は極めて小さい。しかし痒くて掻いて起きたので、これをカウントしない訳にはいきません。本当は1日でなく0.5日くらいで数えたいところなのですが。まあ数よりも眠れることが当たり前になることのほうが大切なので、今月は何日とかそういうのはあくまで目安であり本来どうでもよいことなのです。数を数えているうちは駄目だということ。当たり前に眠れるようになれば意識しなくなるはず。当たり前のことは意識しないものです。
寝る前からこめかみの辺りに痒みがありました。前兆があるときは眠らないほうがいいのだろうか。最近は12時前に寝るようにしている。結局のところ痒みが強いか眠気が強いかということなのかも知れません。今晩は痒みのほうが強かった。眠気のほうが強ければ、掻いても気付かずに朝まで眠れた。どちらがよいのか分かりません。掻かないで眠れるのが一番よいに決まってる。すると起きたことより掻いたことのほうが問題のような気がします。いずれにせよ今の状態はよくない。これでは仕事なんてできません。調子がよい感じがしていたので、復活するシュミレーションまでしてしまいました。だから精神的なショックは大きく、やはり気持ちは落ち込みます。だけど調子がよい感じがするというのは、確かによいほうに変わってきている証拠だと考えてよいと思う。何となくだけどよい感じがするというのは、一見当てにならないようでいて実は信頼できるものだと思うのです。痒みが落ち着いてきたみたいなので寝ようか。どうにもならないことは潔く諦めるしかない。やれるだけのことはやっているつもり。それで駄目なら仕方ない。そういう病気だから。