妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

早く起きたので街に出てきました。ドトールに来てます。カフェラテとミラノサンドCで遅い朝食。お腹がすいている。頭を掻いた記憶と形跡があって気力を失いかけたけど、ストイックに生きるのだと言い聞かせて早起きをした。だんだん気持ちが落ちてきている。自分は何をしているのだろう。街に出ても意味がない。ひとりはつまらない。社会復帰のためのリハビリか。家にいたくないというのもある。意味なんて考えても仕方ないか。意味があることなんて何もないんだ。意味がなくても構わない。死にたくても死ねないから生きているだけなのだから、生きること自体に意味なんてものはない。だから生きることに付随するすべてに意味がない。意味がある必要もない。ただ生きるだけ。すべてが無意味でも生きるしかない。


いつものカフェに来ました。外は暑くてだるい。歩き疲れた。クロワッサンとフォカッチャとラテでひとりランチ。今年の夏はホットで貫く。冷たい飲み物は体を冷やす。気持ちが上がらない。仕事をしていない劣等感。仕事の話は聞きたくない。居心地が悪い。僕は病気持ちのエリート。今は休んでいる。けれどきっと復活して自信を取り戻せるはず。


僕はエリートだ。僕はエリートだ。僕はエリートだ。僕はエリートだ。僕はエリートだ。エリート?別にエリートじゃなくてもいい。自分に自信さえ持てるようになれば何でもいいんだ。僕は少しくらい調子に乗っているくらいがちょうどいい。どうしたらいいんだ?今やるべきことは何か?後悔は絶対にしたくない。結局道はひとつしかないような気がしている。最初からそうだったように思う。逃げ道はなくなった。生きるか死ぬか。生きるのなら復活するしかない。これは思い込みでなく現実だ。今やれることをやって最終的には無理をして生きていく。これが現実なんだ。


少しずつ体を慣らしていく必要がある。ストイックに。今から始める。たとえ報われなくても後悔したくないから無理をする。これが僕の生き方。ひとは簡単には変われない。死ぬまでずっと無理をし続ける。僕のちっぽけなプライドが自分の心を動かす。行動するときだ。考えを行動に移す。ひとつずつ行動を起こしていく。ハードルの低いものから始めて、徐々にハードルを高くしていく。無理をしたら休めばいい。逃げ道は閉ざされた。前を向いていれば立ち止まっても許される。これからどうして生きていくか決めるのは自分自身。自分を動かすことができるのは自分だけだ。ただし現実との距離感は適度に取らないといけない。現実と向き合い過ぎても現実から逃げてばかりでも駄目だ。常にバランスを意識する。すべてはバランスが重要なんだ。


無理してひげを切った。疲れていたのに。やはり時間がかかった。仕方ないか。無理をしたから休もう。おやすみなさい。


現在午前2時38分。頭を掻いて起きた。被害は軽い。だけど掻いて起きたことは事実。朝まで起きずに眠れても掻いた形跡がひどいときも少なくない。起きるか起きないかは、眠気の強さと痒みの強さによって決まるのではないだろうか。今晩は痒みは弱かったけれど眠気も弱かったから起きた。だから被害は軽かったけど起きてしまった。起きたからには一通り掃除を済ませないと気が済まない。被害が少なかったから時間はそれほどかからなかった。
暑い。暑くて寝苦しくて汗をかいて身体中が痒い。暑さのせいで体が熱を持つのも痒みを誘発するのだと思う。気持ちは落ち着いている。たいしたことはない。あと5時間寝たら起きよう。できるだけ質のよい睡眠をとりたい。起きるか起きないかよりも、掻くか掻かないかのほうが重要な気がしている。つまり痒くなるか痒くならないかでもある。本質的にはそれで合っている。まったくその通り。とにかくストイックに少しずつよくなることを信じるしかない。やれることはやっている。