妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

今日も街に出てきた。ドトールでカフェラテ。眠い。気持ちは落ちている。やりたくないことを無理してやらなければならないのだから当然か。気分を変えて先生の依頼をやろうかな。余裕がないけど形にはしたいと思う。疲れている。苦しいことが増えるだけ。楽しいことは何もない。


本屋に寄って立ち読みしてきた。マスターキートンを軽く読んでいたらいつの間にか夢中になっていた。1巻から揃えようかなと思う。いつものカフェに来ている。昨日に続いて海老と卵のサンドイッチのランチセットとラテでひとりランチ。やっぱりおいしい。仕事が始まればあまり来れなくなると思うと少し寂しい気持ちになる。毎日が日曜日だった生活に終わりを告げる。いつものカフェがなかったら引きこもりになっていただろう。そしたら僕はすっかり駄目になってしまったに違いない。これからも通院日には必ず来ようと思う。僕の居場所だから。


何だか複雑な気持ち。店員さんから優しい言葉をもらったのだが…僕はこのまま進んでよいのだろうか。流れているのではなく流されている気がする。だけど現実的に見れば仕方ない気もする。結局選択の余地はなかった。夢みたいなことを考えても実現するはずがなかった。でもすべて無駄だったとは限らない。休みの日に夢のかけらを叶えることはできるかも知れない。ずっと死ぬまで仕事だけという訳ではないのだから。途中で道を変えることだってできるはず。どうしてもやりたいことをして生きていきたいと思えばやり直せないことはない。今は今やるべきことをひとつずつやっていく。先のことを考える余裕はないし、考えるときではない。自分が今何をすべきか。それだけでいい。
早く先生に会いたい。先生とお話したら完全に覚悟を決めて前に進むことができる気がする。今はまだ現実に心が追い付いていない感じ。地に足が着いていなくてフワフワと浮わついている。だから不安や迷いが生じる。僕はやるときはやる。自分でやると決めたら最期までやり通す。僕はひとりじゃない。先生がいるから無理をして生きていける。疲れたら休めばいい。やりたいことはやれる範囲でやればいい。前向きな諦めと妥協。迷いながら生きていくのもいいかも知れない。最期まで人間らしく、僕はどこまでも僕のままでいたい。


無理をして掃除をした。疲れているのに。暑いのに。気持ちが沈んでいるのに。休まなければならない。現実から逃げなければならない。バランスが崩れている。無理をし過ぎている。


メールカウンセラーなら仕事しててもできるかも知れない。需要があればの話だが。それより仕事をしていればそんな余裕なんてないか。やりたいこともやりたくなくなってしまう気がする。つまりやりたいことがなくなってしまう。やりたくないことだけ。楽しいことなんて何もない。苦しいことだけだ。鬱がひどくて何もかも嫌になってきた。すべてから逃げたい。