妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

憂鬱な雨の日でもお気に入りの傘をさせば気が晴れるかも知れない。
通院日なので街に出てきた。いつものカフェに来ている。海老と卵のサンドイッチのランチセットとラテでひとりランチ。先生に会えると思うと気持ちが高まる。平和な平日。静かな空気。心地よい場所。ここは僕の居場所。


これからのことを意識してテンションが下がってしまった。クリニックに着いてデパスを飲んだ。先生に癒してもらおう。僕の唯一の理解者にして心の支え。
診察を終えてドトールに来ました。久しぶりにアイスハニーカフェオレを飲む。甘いけどハチミツだからたぶん平気。外は異様に暑い。やはり雨が降る前兆なのだろうか。雨に降られる前に家にたどり着きたい。


今日の先生は相当お疲れだった。もはやお疲れ『気味』ではない。昨晩の夜勤に続いて今晩も夜勤だそうだ。かなり精神的に参っているように見えた。今の僕よりも体調が悪そうで、何だか自分の状況が思うよりたいしたことないような気になる。僕が一通り話すと、今度は先生が話したがった。
先生は愚痴だと言って謝っていたけれど、僕は単なる愚痴だと思わないし不快でもない。逆に苦しんでいる先生の姿を目の当たりにして、自分もがんばらなければと勇気づけられる。愚痴というは話したいこと。吐き出したいこと。僕でよければいつでも聞き役になる。話せる相手と話せない相手がある。話して楽になる相手と話しても無意味な相手がある。先生の愚痴を聞くときは一方的でなく、僕の考えも話しているように思う。お互いに話してお互いに癒されるとしたらまさに理想的だ。強い信頼関係で結ばれているからこそ可能なこと。先生と一晩中お話したいと思った。先生がいるから僕はひとりじゃない。先生がいるから僕はまだ生きていける。


時間より内容。量より質。時間だけに縛られることなく、内容も含めて診察を全体的に考えることが重要だと思われる。


今やれるだけのことをやればそれでよい。今できるだけのことができればそれで十分。今の自分の限界までがんばったのだから、それで自分を誉めて自分にごほうびをあげる。なるべく、それなりにできたら満足する。完璧を求めても自分を苦しめるだけ。鬱状態のときはどうしても考えが偏る。後ろ向きでネガティブな思い込みによって、自分で自分を追い込むことになる。だけどそれはきっと一時的なもの。鬱状態を脱すれば自分を客観視できるようになるはず。疲れているんだ。無理をしている。休みが足りない。自分のキャパシティを超えて限界が近づいたら、たまにはひとに頼ってもいいと思う。


思い込みについて