妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

形跡3。一時間二度寝。さすがに起きれなかった。今日は休みの日だから許される。楽しもう。楽しもう。


遅く起きたけれど、朝のお決まりの準備は早くできた。街に向かっている。電車の中は観光客でいっぱい。僕は僕の居場所に行く。いつものカフェでひとりランチ。さっき朝食を食べたばかりでお腹がすいていない。昨日いつものカフェで買った食パンとクロワッサンと小さなパン。それからルイボスティー。今日のひとりランチは、ケーキとじゃがいものスープとラテだけでいいかも。気分次第。外は晴れていて暖かい。春の日差し。だけど風は冷たい。気持ちはまずまず落ち着いている。今日という一日を楽しみたいと思う。気持ちが落ちてきたら、どうせ死ぬからどうでもいいと開き直る。


いつものカフェに来てます。やはりパンを食べる気にならず、アマンディーヌとじゃがいものスープとラテのみ。エクレアとかシュークリームとかレアものがあったけれど、ストイックに生クリームを避けて頑なにアマンディーヌ。悪そうなものは自然と避けている。眠くてたまらない。疲れが出てきている。早めに帰って休もうか。


やはりお菓子を買うのはやめておくか。好きなものを嫌いな場所に持ち込みたくない。平日はあくまでストイックに。甘いものはひとつだけ。休みの日のケーキだけ。それでいいし、それがいい。僕らしい生き方。


タリーズソイラテ。大豆アレルギーの関係なのか、札を渡されてカップにも豆乳を使用していますというシールが貼られている。そんなにされるとアレルギーがなくても不安になる。それ以前に味がまずい…普通にカフェラテにしておけばよかった。ドトールの豆乳ラテもこんな感じなのかな。おいしくないと分かっただけでもいいか。
早めにカフェを出てハンコ屋を探したけれど見当たらなかった。確かにあった記憶があるのだが、どうやらつぶれてしまったようだ。無駄に歩き疲れた。ただでさえ疲れているというのに。仕方ない。どうせいつかは死ぬ。そう思えばちっぽけなことさ。
こんなことならいつものカフェでゆっくりしていたらよかった。店員さんたちと話していたらよかった。電車の時間まで服屋にいたらよかった。…なんて後悔してはいけない。こういう考えは自分で自分を追い詰める。すべては自分で選んだこと。潔く諦めよう。前を向いてトボトボと歩いていこう。家に帰ったら口直しだな。


歩き回ったら暑くなってきた。ダウンジャケットを脱ぎたい。坂道だしかなり体力を消耗した。筋肉痛決定。体を鍛えたと思えばいいのか。疲れている体に鞭打ってまでする意味がわからない。こんなときはどうでもいいと、考えること自体を放棄してしまえばよい。時には『考えない』ということも有効なのかも知れない。これは先生に伝えたいテーマになりそう。考えること。考えを言葉にすること。考えないこと。それは意図的であって、あえてやることで意味を持つ。


ソイラテって調整豆乳使ってるのか?甘さは特に感じなかったのだが…せっかく甘い飲み物は徹底的に避けているというのに。うかつだった。先入観でラテは砂糖が入っていないと思い込んでいた。カフェラテは大丈夫なのか?怖くてブラックしか注文できないな。というかもうタリーズには行かない。行かないと言いながら、懲りずに行ってしまっている。それは電車の時間調整のため。次からは服屋か何処かで調整することにしよう。今日は失敗してばかり。反省して次に生かせば無駄ではない。豆乳を常飲していた頃も、紀文の無調整しかおいしいと思えなかった。まあいつものカフェのスープだって、何が入っているか疑い出したら切りがない。潔く諦めよう。口直しだ。