妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

体がだるい。思うように動かない。これから1ヵ月は僕の最後の戦いなのに親は戦意喪失している。毎日僕を追い詰めることばかり言う。つらいよ…僕はまだ諦めない。最期まで戦うよ。これはアトピーとの戦い。そして自分自身との戦い。負ける訳にはいかないんだ。


朝から言葉がへろへろになった。お昼を食べてセディールを飲んだら少し落ち着いてきた。最近無理しすぎたのかも。


やっぱりレベル高いなぁ。普通に働いて普通に生きていく。この国はどうなってるんだ。はぁ…きついな。健康に生まれて死ぬまで健康で居続けなければならない。


コーヒーブラックで飲んだら胃が痛くなってきた…


りっちゃんの声は癒されるなぁ。やっぱり年上のお姉さんっていいよね。優しいお姉さんに甘えたい。


孤独だ…


夕食後いつものように薬を飲んだら体が楽になってきた。やっぱり体が重くなるのは薬の副作用ではなく鬱症状なんだろうな。その後お風呂に入ったら次々とアイデアが浮かんできて自分で納得して悦に入った。精神科の先生は僕を導いてくれている。名医なのかもしれない。早く先生のいるところまで行きたい。それはある意味悟りの境地だと思う。次の診察が楽しみだな。


テンションを低めにコントロールする。自分でテンションが高いと思う状態は高すぎる。客観的に相対的に捉えるのではなく主観的に絶対的に捉える。普通のひとの状態と比べても意味がない。自分の脳内で起きていることなのだから自分の中だけで判断すべき。
テンションが高すぎる状態は長続きしない。その後がた落ちになる可能性も大きい。テンション低めで安定した状態が理想。テンションが高い状態から自分で意識的に低めに落ち着かせることは比較的容易である。逆はほぼ無理。薬でテンションを上げて自分で調整する。つまり自分の気持ちをコントロールするのだ。


好きなことや楽しいことにだけテンションを高くする。思いっきり楽しむ。苦痛なことには醒めた気持ちでいる。仕事やアトピーに対して熱くなっちゃいけない。冷静に。クールアンドドライ。まともにぶつかっていったらすぐに潰されてしまう。まるで他人事みたいに。真面目に考えすぎない。最低限の気力があればよい。それ以上無駄にテンションが高い必要はない。


理論的には完璧に近いと思うんだけど現実にはそううまく行かない気もしてきた…まず薬でテンションが上がるという前提がなければ成り立たない。そしてテンションの高低を状況に応じてうまく使い分ける。これはかなり難しい。僕は人間という感情を持った生物でありロボットのようにプログラム通りに考えることは不可能である。はぁ…不安な気持ち。弱い心が出てきた。こうやって考えることに何の意味があるのか分からなくなるけどきっと意味はあるはず。鬱から回復するには不可避な過程なんだと信じたい。少しずつだけど確実に幸せに近づいてるんだと信じている。


ただ薬飲んでるだけじゃよくならないと思うんだけどな。本で読んだり医者やカウンセラーから一方的にアドバイスを受けるだけでは意味がないと思う。自分自身で気付かないと。自分の中から生み出さないとダメだ。あーあの時先生が言ってたのはこういうことだったんだと納得しないと。考えること。考え抜いた末にやっと答えらしきものに辿り着く。それは苦しい道程だけれどゴールした瞬間は白い光に包まれる。とても幸せな瞬間だよ。


今気付いたんだけど鬱に対しても熱くなっちゃダメなのか。こんなに一生懸命に考えるから苦しいのだろうか。もっと醒めた気持ちでいないといけないのかな。もう何この思考ループ。矛盾してるよ。あーもうわけワカメ。寝るわ。疲れた…考えすぎはよくないか。こういう妄想をすること自体が異常なのかもとか自分が正しいと思ってることが実はおかしいのかもとか自分で自分が信じられなくなってきた。自分はもうすでに気狂いになっているのか?誰か教えてくれ。俺は一体何物なのだ?


恐い。恐いよ…助けてくれ。自分で自分を追い込んでいる?


眠れない…寂しいよ。誰かお話しようよ。苦しい。明日は外に出られるといいな。気分を変えたい。