妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

話せる相手がいないから自分の脳内に居場所を求めたのか。悲しい…泣ける。自分の中に別人格を創るのに似てるかも。


不安だから考える。無気力なときは考えることができずに不安感がだけが募る。


僕のとめどなく溢れる思考を意義あるものにするには芸術に昇華するしかない。仲間の役に立ちたい。でなければ思考が苦痛になる。


躁状態のときの思考は不安感によるものではなく単純に楽しいからなんだと思う。


だから芸術家はドラッグを求めるのかな。苦しまずに楽しんで生み出すことができるから。


僕の思考は積極的思考と消極的思考とに分類される。したいとせざるを得ないとの違い。


奇形でもいいじゃん。結局弱者の気持ちは弱者にしか分からないのだろうか。劣っている訳ではない。少数派なだけなのに。政治は弱者を置き去りにする。票のかたちをした国民しか相手にしない。思考停止した愚民をマスゴミが操る。こんな国滅びてしまえばいいのに…


モンシロチョウが飛んでいるのを見た。


思考せずに不安から逃れるには寝るか音楽に没頭するか。今はこれくらいしかない。曖昧なものは永遠に曖昧なものなのかもしれない。


すべての人間が弱者になれば世界は平和になる?すべての人間が弱者になった時点ですべての人間は弱者ではなくなる。そのときすべての人間はありふれた普通の正常な健常者である。いや普通という概念自体存在しなくなるのだろうか。少数の異常があるからこそ多数の普通があるのか。
刺激と癒しをバランスよく吸収しなければならない。


今朝のレベル10分の3から午後になってレベル10分の5に上がってきた。部屋のお掃除とお皿洗いをしました。


大学の頃街を歩くときすれ違う人達が僕の赤い顔を見てひどいと言っている気がした。近くで笑っているひとを見ると僕の赤い顔を見て馬鹿にしているのだと思った。