妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

おはよう。自発的に7時前に起きたの初めてかも。今日のレベル10分の5。


音楽に没頭するか寝逃げするかしないと不安感で苦しい。レベルが10分の4に下がった。
眼球上転なんて副作用もあるんだな。僕の精神科の先生これかもしれない。やっぱり先生も戦っているんだな…


なんか何とも言えないやりきれない気持ちがする。どうしようもない無力感。自信はない。でも諦める訳には行かない。逃げることは許されない。僕はきっと戦い続ける。この社会の中で生きていくにはそうする他ない。
生きるか死ぬか。戦うか逃げるか。苦しみに正面からまともにぶつかって行くのは勇気ではない。無謀だ。頭を使って戦略的にやり過ごす。上手に世を渡っていく術を磨く。最高に醜くて汚い世界でエンジョイしてやるんだ。


精神科に通い始めた頃は自分に合う薬を探すことしか頭になかった。それは副作用が気にならずに効果を実感できる普通に仕事して普通に生きていくことができる魔法の薬。


最近音楽が楽しい。The Doorsを聴いている。オリジナルアルバムのどれも楽しめるようになった。音作りにセンスがあるよね。知的な印象。Jim Morrisonの声に共鳴する。


脳内における会話では僕の言葉は実際に発せられる。相手の言葉はほとんど存在しない。肯定あるいは否定という前提の上で会話が展開される。相手の姿もほとんど意識されない。近くに誰かがいるときは声を潜める。誰もいないときは実際の会話と同じくらいの音量で発声する。会話を続けるうちに自分の求める何かが見えてくる。永遠に独り言を話しているナルシス。


心の病だなんて言葉を柔らかくしたら怠け者のレッテルを貼られるようになった。脳の異常なんだと声を高くしたら気違いと呼ばれるようになった。弱者も強者も相手を理解することは永遠にない。だけど弱者は彼らだけでは生きてゆけない。強者は彼らだけで生きてゆける。


僕と先生は戦っている相手とか目指している場所が近いのだと思う。


休日を廃人として過ごすことはすぐに慣れますか?平日を廃人として過ごすことは可能ですか?


共感や信頼って一方的な感情であることよりも双方向的な感情であることのほうがより自然なのではないだろうか。しかし愛情を考えてみるとむしろ一方的な感情であることが自然な気がしてしまう。不自然な感情。


わがままな感情が僕を苦しめる。独り善がりで一方的な感情。自分の脳内だけで考えている。その会話に相手は不在する。現実に相手を前にしたとき。実在しないはずの相手の存在を認めたとき。僕はいつものように言葉を並べることができるだろうか。


人を信じることが不安だ。たぶん人を愛することも。アイドルは一方的な感情が許される。でも現実は違う。僕は永遠に安心することはできないのかもしれない。苦しいよ…


信頼と共依存。どこからが病気なのか。病気でも許されるのか。ありのままでいいのか。曖昧なものが多すぎる。思考の迷路に迷い込んでしまったようだ。


正常か異常かなんてどうでもいい。それが病的かどうかすらどうでもいいことだ。日常生活に支障をきたすものでなければそのままでいい。苦しくないほうに向いていれば救われる。


自生思考なんていうのもあるのか。なんか嫌な予感がしてきた…