妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

逆に考えてみろ。早くに気付いてよかったじゃないか。普通のひとは知ったときにはもう手遅れなんだ。知らないまま死ぬひとだって多いはずだ。僕は知らずにはいられなかった。遅かれ早かれ知ることになっていた。


才能のない社会不適合者は死ぬしかない。信頼できる人に出会えて世界が大きく変わったのに何故また追い込まれなきゃならないんだろう…結局死ぬまで苦痛から逃れることなんてできないんだ。


発狂衝動。せっかく希望が見えてきたのにすべてが台無しだよ。苦しんだだけ損だな。考えても無駄。知っても意味ない。僕の存在は何の価値もない。生まれてこなければ死ななくてすんだのに。


自分を知って外の世界で生きていくことがさらに難しくなった気がする。今までは外の世界に合わせて生きてきたのだけどそれは無理をしていただけだった。今は無理をしてまで合わせて生きる理由もわからないし意義も見出だせない。こんな状態で外の世界に出たらどうなってしまうんだろう。恐い。自分が恐い。


せっかく僕の苦しみを理解してくれる人に出会えてアトピーという最大のコンプレックスを克服できたのに。普通に働けなければ苦しいままじゃないか。僕は普通になんか働きたくないんだよ。何故なら死にたくなるほど苦しくなってしまうから。僕は普通に生きていきたいなんて思わない。自分に合った自分しかできないことをして生きていきたいんだ。


将来?老後のために生まれてきたんじゃないんだよ。今を生きてるんだ。


レキソタンで気持ちは落ち着いたけど仕事に行ける気がまったくしない。冷静に考えて無理だと思う。アモキサンの効果でハイになったときのような状態にならないと無理できない。恐いものなしの無敵状態にならないとダメだ。ドラッグ飲まないと仕事できない。ドラッグ飲まなくても普通に楽しく生きられる社会を作って下さい。もうお酒に頼るしかないかな…みんなが僕を廃人にしたがっているんだ。


我々メンヘラという弱者はどうやってこの醜い世の中を生きていけばいいのでしょうか。最も人間らしい私達が人間でなくならないといけないということに納得することができないのです。最も人間らしい私達が何故人間らしく生きることが許されないことがありましょうか。我々のような弱者が人間らしく生きていけるような社会こそ先進国として望ましいのではないだろうかと考えるのでありますがいかがでしょうか。


もう普通のひとが一生のうちに経験する苦しみを味わい尽くしたんじゃないだろうか。質ではなく量としては。もうこれ以上苦しむ必要はない。これからは死ぬまで楽しんで生きればよい。違うかな。違うと言い切れるひとはいるだろうか。誰も僕の人生に口を挟むことはできないのです。僕の苦しみを完全に理解できる人間でないとできないのです。僕という人間がもう一人いたとしたらそのもう一人の僕しかできないのです。もう一人の自分は自分の中にいるのです。僕の脳内から僕のことをじっと見つめているのです。僕は脳内に住んでいるもう一人の自分とよく話をします。どちらからともなく声を掛け合いいつからともなく会話が始まるのです。そしていつのまにか気付くと僕は一人立ち尽くしているのです。ほんの今まで何をしていたのかまったく思い出すことができないのです。誰か自分のほかにその場にいたような奇妙な錯覚を覚え違和感のようなものを感じて居心地が悪くなります。