妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

ここまで追い詰められたのならもっと自由に生きてもいいんじゃね?どうせいつかは死ぬしいつ死ぬかもわからないし。好きなこと。やりたいことがあるんだから死ぬまでそれをやり尽くして生きなきゃもったいないでしょ。せっかく生まれてきたんだからさ。


優しい人間や気の合う人間がいたとしてもあまり関係ないんだと思う。職場の人間関係における中途半端で微妙な距離感が生理的に受け付けないんだ。暗黙の了解が理解できない。頭ではわかっていても嫌悪感と潔癖のために平気で割り切ることができない。


仕事をしたくない訳ではない。職場という組織の中で働くのが死にたくなる程苦痛なだけなんだ。仕事をして人の役に立って自分を認めてもらってお金をもらって欲しいものを買ったり好きなことをしたりして生きていきたい。それができれば死にたいなんて思わないはずなんだ。本当は死にたくないんだ。


逃げたい。死にたい。発狂寸前。iPodに曲を入れる作業に集中して現実逃避するお。


生死の間を彷徨いながら生きてるんだ。世界の見え方感じ方が違うんだ。


鬱ってドラッグなんてやってないのに禁断症状が出てるみたいなもんじゃん。どうすりゃいいのさ。ドラッグやりたくなるのも自然だね。まあ違法だからやらないけど。精神科で処方された合法ドラッグで我慢するしかないな。


NIRVANAも楽しめるじゃん。高校の終わりに初めて出会ったロックだから。まだ音楽というものがわかっていなかった。自分の好みすらわからなかった時代に大好きだった音楽だからいつのまにかくだらなく思えてあまり聴かなくなっていたんだけど。今でも楽しめる。いろいろな音楽を聴いて自分の好みも知り尽くした今だからこそ当時とはまた違った楽しみ方ができるのかも。より深く楽しめる気がする。カートに憧れてカーディガンを着てジャックパーセルを履いていた頃が懐かしい。西新宿でブートを買い漁るのが宝探しみたいで楽しかった。今でもカーディガンはお気に入りのファッションだけど。西新宿もあの頃とはずいぶん変わったよ。少なくとも僕にとってはね。


ちんこが蒸れてかゆいぜー。正確にはちんこの生え際というかちん毛の周辺というか。夏は下の毛を切るひともいるらしいけど僕はナチュラルに過ごすよ。


去年の新人も鬱で辞めたと聞いてなんか気持ちが楽になった。てか面白すぎるでしょ。毎年新人が鬱になる職場とか。爆笑だよね。逆に楽しいんだよ。逆に面白いんだよ。こういうニュアンスがたまらなく好きだ。


ノイローゼから鬱になったって結局何も変わらないじゃないか。弱者は弱者のまま。生きづらい人間は生きづらいまま。死にたい奴は死にたいまま。薬飲んで自分に嘘を付くのも無理して自分に言い聞かせて嘘を付くのも嘘を付くという意味では同じなんだ。今も昔もキチガイキチガイのままで。キチガイは少数派のままで。何も変わっていないんだよ。ダメな奴は何をやってもダメだ。自殺する人間は何をやっても自殺する。


りしゃまんぺろぺろ。りしゃまんぺろぺろ。シンプルな呪いのおまじない。エンジョイ。エンジョイ。シュガーな熊のおまじない。これは仮説です。


狭く深くもいいけど広く浅くもいいね。本当は広く深くが理想なんだろうけど。人間は毎日確実に死に向かっている。制限時間があるから無理だ。まあできるだけ広く深く興味を持って楽しみたいよね。好奇心。感受性。純粋なものはなくしたくない。


女性ボーカル時々ロック。癒しと刺激のバランスは8対2くらいがちょうどいいかな。テンション高いときは7対3くらい。Buono!は癒しも刺激も程よく混ざっているので重宝してます。


夕方くらいから楽になってきた。冗舌になってきた。ジェイゾロフトの効果が出てきたのかな。そんなに早く出ないか。副作用も感じていない。レキソタンは相変わらず可愛い。


岡崎律子さんのI'm always close to youを聴いてたら泣けてきた。りっちゃん。僕はもうどう生きていけばいいのかわからないよ…輪廻転生とか前世とか現世とか来世とか僕には信じることができない。世の中は不条理で自分の運命に耐えられないのなら自分の人生が嫌なら死ぬしかない。りっちゃん。自殺したらあなたには会えないのかな。病気で死んだら会えるのかな。そろそろ寝るか。夢でりっちゃんに甘えたい…