妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

手に襲われる悪夢にうなされた。この前は無数の手で今回はタオルケットが手になって攻撃してきた。うああああって叫んだ。親が様子を見にくるくらいの声で。


そういや愛理が夢に出てきたな。桃子とみやびちゃんもいたかも。愛理だけがやけにリアルだった。昨日寝る前にBuono!聴いてたからかな。夢の中とはいえ女の子と話すのはいいもんだね。


ちんこがかゆい…カリ周辺が朝からずっとかゆい。最近性欲ないからオナニーしてないんだ。定期的にオナニーしないとチンカスがカリの辺りに溜まるんだと思う。それでかゆくなるんじゃないかと。一応毎日お風呂のときに石けんで軽く洗ってるんだけどね。やっぱりたまにはチンカスの掃除も兼ねてオナニーしたほうがいいのだろうか。性欲なくて気持ちよくならないからやる気しない。夢精はしたくないから月2くらいはやらなきゃという思いはあるんだけど。オカズもないしなぁ。街で露出の高い女の子を見てもムラムラしない。女の子とエロいことしたいとはあまり思わない。ただ一緒にいてくれればいい。どこに行けば何をすれば出会えるのかまったくわからない。


弱者のままでは弱者を守れない。でも弱者から強者になると弱者から拒絶させる。自分では弱者の気持ちがわかっているつもりでも強者になると気付かないうちに何かが変わってしまう。その変化を弱者に見抜かれてしまい偽善者扱いされる。弱者のまま弱者を守るには限界がある。自己満足で終わる。弱者自身が強者にならないかぎり弱者は弱者のまま。でもそれでいい。弱者は弱者なりの生き方で弱者なりの幸せを探していけばいい。強者と同じことをしようとしてはいけない。むしろ強者を見下せ。強者にとっての幸せはただの見せかけ。騙されるな。いつか弱者が陽だまりの道を歩ける日が来るはず。それまでは耐えるんだ。死んだら終わりだ。生きづらさを抱えた弱者はみんな繋がってる。独りじゃないんだ。強者の仲間ごっこ友達ごっこみたいな上辺だけの軽薄な関係ではない。苦しみぬいたからこそ見える世界を楽しんでやろうぜ。苦しんだことのないバカな奴らには見えない世界。人間らしい人間であるがゆえに生きづらい思いをして苦しんでいる弱者に敬意を表します。


楽しいことがひとつでも残っているうちは死んではいけない。苦しいことばかりでも楽しいことがひとつでも残っているうちは死んではいけない。楽しいことがひとつもなくなったら死んでもいいよ。


僕は猫である。苦しいことをするためには楽しいことを見返りに求める。餌に釣られて外の世界に出ていく。轢死しないように気を付けなければならない。可愛い女の子に擦り寄って甘えたい。僕は気ままな猫である。


キチガイを自覚するようになったらサブカルに傾倒するようになってきた。音楽も漫画も小説も面白い。楽しすぎる。共感できる。まあ無気力だからまだ音楽聴くのがやっとだけどね。興味好奇心は物凄い勢いで燃え上がっているんだ。悪趣味な芸術の収集家になりたい。


偽善者は死ね。今すぐ。今すぐ。死ね。嘘吐きはばけものの始まり。本当は自分のためなのに人のためだと思い込んでいる偽善者。人のためであり自分のためでもあるということに気付かない思考停止した愚民。本当は自分のためであるということを認識した上で謙虚さを持って人のためになる行為をするのだ。それが本当のいい人。人間らしい人間。自分のためではまったくなく純粋に人のために行動できるひとは神かお人好しのバカか。逆に人間らしくない。人間らしい人間でありたい。人間として生まれてきたのだから人間のままで死にたい。


開き直りほど心強いものはない。他人の開き直りほど厄介なものはないけど。自分は弱者でありキチガイであり生きづらい人間らしい人間なんだからありのままに生きればいいんだよ。より人間らしい人間ゆえに生きづらい。それはむしろ誇るべきことなんだよ。


ひさしぶりにベリのギャグ100聴いたけど神曲だな。とくに桃ヲタにはたまらない。桃子のハイトーンボイスをこれだけ堪能できる曲はないでしょ。あの頃はよかったなぁ…のにゅもすっかり懐かしい響きになってしまったんだなと感じた。ちょっぴりしんみりしんみりしみずさき。ラジオも楽しかったなぁ…


人間が作り出すもので真に価値があるのは芸術だけなんじゃないだろうか。


肌の調子が悪くなってきたな。アトピーを精神的に克服することはほぼできそうだけど肉体的な物理的な苦しみはどうしようもない。かゆみや痛みを知覚するかぎり苦痛からは逃れられないのだ。アトピーで鬱とかやっぱり前世の呪いか何かなんじゃないだろうか。輪廻転生とかあるのかも。そうなると自殺もできないわけだが。


夜はあまり眠くならないからレキソタンの副作用で眠いという仮説は間違っていたようだ。まあ薬飲んでなくてもこの蒸し暑い季節家の中でじっとしてたら眠くなるよね…いつのまにか薬に対する抵抗感が消えていることに気付く。嫌悪感や拒否感がない。これは医師を信頼していることに起因するのだろう。自分と波長の合う精神科医に出会えたことがどんなに奇跡的なことか他の患者を見ればわかる。僕は幸運だった。はじめての精神科医が先生で本当に幸運だったのです。運命的な出会いは恋愛の世界だけでなく病気の世界にも存在するのです。特に精神科における医師と患者の関係は他のそれとは異質でありかなり特殊なものなのです。人間対人間。より深い部分で会話をするのですからマニュアル通りに行くとは限らない。患者のタイプも様々であり患者ごとに対応を変える必要も出てくるのかもしれない。先生は普通の精神科医ではないと自認した。僕も普通の精神病患者ではないと自負しております。変わった医師と変わった患者だからこそ気が合うのかもしれません。先生が正直だからこそ僕も正直に話すことができるのです。これからも先生と僕のあいだだけでしか成立し得ない会話を楽しみましょう。