妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

疲れた。先生とお話してきた。お守りをもらってきた。お互いに鬱だったみたいでなんかよくわからない話になっちゃったかな。まあそれでもいい。先生と会えるということが僕の生存本能を支えている。カフェでパンとカフェラテ2ショット。まったり休みたい。


ああああああああああああああああああ! 。!。?


鬱すぎるから早めに帰るか…


もう通院日以外は街に出たくない気持ちになってきた。他人が恐い。お金がない。一人ではつまらない。引きこもっているのに飽きたらまた外に出たいと思うようになるだろう。すべては問題がうまく進展してくれるかにかかっている気もするが。今は疲れている。本能に従えばいい。まったり休もう。


もう通販で服を買うのはよそうと固く誓うのであった。この前はたまたまイメージ通りのものが届いただけだ。次は失敗して後悔するに決まってる。これまで通販で買った服はなぜか愛着が湧かない。気に入らないところがあるというのも理由だけど実際に現物を見ないでネットの写真とサイズの数字だけを頼りに購入ボタンを押して家に届いたという何となく味気ない感じが大きいような気がするのだ。CDや本は決まったものだから実物を見ても見なくても手には入りさえすれば何も問題にならないのだが。服というものは色や手触り、質感や雰囲気が大切でありこれは実際に見て触ってみないとわからないものなのだ。服は最低限でよい。もうこれ以上買わなくともきれいな服を着て街に出かけられるくらいのものはもうすでに揃ってあるのだ。このところ毎日のように脳内貯金して物欲に耐えている。買い物依存症に近いものを発症している恐れがあるように思う。これを克服するには今あるものを楽しみ尽くすこと。それからお金をあまりかけない小さな幸せを感じて満足感を得ることだ。そして何より『もの』より『ひと』を必要としているということを自覚すること。ものをいくら買っても永遠に満たされることはない。ものはもうすでに十分に揃っているのだ。ものに関してはただ楽しめばいいだけ。苦痛に対する自分へのごほうびはよりささやかなものにすればよい。例えばカフェでまったりすることとかカフェでまったりすることとか。あとは家でまったりすることを楽しみにすることだろうか。自分へのごほうびと思えるくらいエンジョイできるように。とにかく今は出来るだけお金を使うことは好ましいことではない。環境が落ち着いたらたまにはとっておきの自分へのごほうびをあげたらいいぢゃないか。


お風呂上がりは痒くて本を読む気になれない。それに眠くなってしまうから早めに寝るしかない。早起きして時間を有効に使いたいのだがなかなか難しいものだな。とにかく寝るか。おやすみあやちょ。