妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

精神科に行ってきた。先生とお話したら気持ちが楽になった。癒された。そしていつものカフェにいる。パンと試しにカフェモカを頼んだ。気分を変えて。通院日以外はもう街に出かけないつもりだ。天気のよい日かつ体調のよい日は散歩する。街まで出かける必要はない。もし街に出たくなったら出ればいい。脳内整理をしなければならない。今の現状を正確に把握してこれからすべきことを考える。カフェモカはカフェラテを甘くしただけとしか思えないな…やっぱりカフェラテ2ショットだな。


やっぱり働いて充実感を得られるような生き方をしたいな。好きなことをして充実感を得る。それが仕事になれば理想。


僕がCDを買うのは音楽療法というれっきとした鬱病の治療の一環としてなのです。決して遊びではありません。実際に音楽を聴くことによって自分の気持ちが変化します。聴くジャンルはいろいろありますがどれもみな自分が好きなものだけです。だから趣味という部分が大きいことは否定しません。でも同時に音楽療法という一面も否定しません。だからただの遊びのためではないのです。音楽は薬と同じようなものだと思います。それだけ効果が期待できるものだと実感します。音楽は死ぬまで聴き続けます。生きているうちは聴き続けます。死んだら耳が聞こえなくなるから聴けなくなってしまいます。


先生とのお話が他のひとより長いのは一方的に僕が話をする訳じゃないからだよ先生が話をするのを僕が聞く時間もあるからだよ。お互いに話したいことをお互いに聞く。本当の意味での『お話』。会話。僕が話したいことは先生が聞きたいこと。先生が話したいことは僕が聞きたいこと。信頼し合っているからこそ。理解し合っているからこそ。同じ種類の人間。仲間。一緒に居て気が楽なんだ。心地よい空間。癒される時間。


不登校の子の家庭教師は思うより難しそうだ。信頼関係を築いたあとでないと勉強をする段階にならない。お互いに体調が悪化しそうだ。やはり僕が目指す居場所はもっと先にある。少しずつでも焦らずあきらめず。これから死ぬまでは自分らしく生きていくと決めたのだ。死んだらおしまい。生きている今だからできること。