妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

仕事が終わった。体調が悪いとさすがにこたえるな…精神的に。もううそをつくのも嫌になってきた。早く次の道を決めて一切の関わりをなくしたい。疲れた。今日はもう休みます。


3時間くらいお昼寝してしまった。音楽流しながら寝ていたら変な夢を見た。体がだるい。寝すぎたせいと蒸し暑さのせい。何もしたくない。食べて寝てるだけ。楽だとは思わない。苦しい。今日は朝から仕事をしたからもう寝るだけなんだ。やるべきことはやった。


僕は先生にとって患者のひとりにすぎない。そう思うと先生の存在が心の支えとして死にたい思いをとどまらせるほどのものには感ぜられなくなる。心の支えは意外ともろく壊れやすい。しかし今は何としてもしがみついていなければならない。決して手を離してはならない。落ちたら最期。死が待っている。


少し気力が出てきたかな。まあ一日中気力に満ちあふれているなんてことはないのだろうからある程度の気持ちの波はあって当然なのだと思う。波が穏やかであればよいのだ。まったく波をなくしたら人間でなくなってしまう。


お祭りは嫌い。孤独が際立つ。


頭が痛いな。お風呂から出ても治らなかったらデパス飲もうか。ゾロフトもそろそろやめるか。別に薬が減ったからといって鬱がよくなったわけではないのだよ。シンプルが好きなだけさ。薬は最低限でよいのだ。


お風呂から出ても頭が痛いのでデパスを飲んだ。飲むべきときはちゃんと飲んだほうがいい。調子が悪いからといって安易に頓服の薬を飲むのはよくないけどあんまり我慢しすぎて余計に悪化するのは最悪だ。そこの見極めがしっかりできるかどうかは自分次第。ただ何となく医者に出された薬を漫然と飲んでいるだけでは無理だ。ちゃんと自分自身を観察して分析しないと。医者任せにしないで自分も一緒になって治療に参加しないと。自分のことは自分が一番よく知っている。医者よりも知っているのだ。自分自身のことをちゃんと医者に伝えることができるかというのはとても重要なことだ。それには自分自身の分析以上に医者に対する信頼が必要になる。医者を信頼できなかったらせっかくの分析結果も話すことができない。それでは何にもならない。医師と患者の信頼関係。薬なんかよりもずっと大切なこと。


今晩はほおがかゆくて氷で冷やしている。今ふたつめの氷に代えてきたところ。いわゆる氷のうってやつだ。昔はアイスノンを愛用していたんだけど氷のうのほうが小さくて手軽なので最近はこれで冷やしている。冷やしているときは音楽を流すことしかできない。大学のときは冷やしながら泣いていた。今は涙すら出なくなってしまった。先生が僕のかわりに泣いてくれると言った。このフレーズ好きだ。実際うれしかったし。あーアトピーの調子が悪くても無理してでも前を向いて進んでいかなければならないな。それには開き直りと気力と衝動が必要になる。自分自身が試されているのだ。死までの残り時間。今できること。今しかできないこと。病気に負けることは自分に負けること。僕は負けず嫌いなのだ。具体的な行動が少しずつでもできるようになればいいのだが。


また眠りに落ちるときに頭をかいてしまった。かきむしるほどではなかったけどまだ深い眠りには落ちていなかったので起きて灯りをつけた。思ったよりひどい惨状だった。髪の毛も粉も多いと感じた。枕元をきれいに掃除したらもう疲れちゃって何もかもどうでもよくなってしまった。どうせ明日は早く起きる必要もないし。(本当は早起きしたいのだが)毎晩顔と頭がかゆくてはもうどうしようもない。昼間無気力になって寝逃げしたくなるのも無理はない。最悪だったときよりは少しはましなのだがまだまだ死にたくなるレベルだよ。精神的にかゆみを乗り越えることは不可能だ。かいたあとどうなろうが気にしないということはできるだろうか。かきまくった次の朝でも平然としているのだ。血だらけだろうが痛かろうがひどい惨状になっていようが気にしない。でもそれはなんか違うような気がする。そこは気にしていいしむしろ気にしなければならないと思う。人間として。感情を持っているのだから。苦しいことは苦しいと感じるのが人間らしい人間だと思うから。死にたくなるくらい苦しくても死ななければいいんだ。生きていればその苦しみを乗り越えていることになるのだ。せめて楽しい夢を見たいものだな…おやすみ。