妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

考えてみれば一年も先生は戦ってきたのだ。正確に言えばまだ幼い頃からずっと戦ってきたのだろうけど。この一年はそれまでとは少し違っていたように推測する。あのときの先生の動揺した様子は尋常ではなかったから。医師に撤するのであれば逆に診察拒否すべきだと思う。親だから無下にできないという気持ちはもう必要ない。一年そういう類の義理は果たしたはず。結局相手は先生に歩み寄るようなふりをして結局昔と変わらず自分のことしか考えていなかったということだ。もう呪縛から解かれるべきだ。こんな狂人に関わって苦しくかなしい思いをする余裕はない。ただでさえハードな生活なのだから。先生を必要としている人達を助けてあげてほしい。


どこにも居場所がなくなったら僕のところに来ればいい。いつでも待ってる。時間だけはあるんだ。先生はひとりじゃない。いつでも相談相手に話相手になるよ。僕も先生がいるからひとりじゃないんだ。


今は僕の心に余裕がある。先生を助けてあげる余裕があるんだ。だからこんなにも先生のことを心配して気掛かりで仕方なくなっている。あれだけ重い話をされたらほっとくわけにはいかない。先生だって僕の前だからこそあんな話をしてくれたんだろうし。弱い部分も躊躇なく見せてくれる。僕は先生のすべてを受け入れることができるつもりだ。少なくとも今のところは先生に対して不快な感情を持ったことはない。僕のことを信頼してくれているからこそここまで心を開いて何でも話してくれるのだと思っている。調子が悪くて重荷に感じるときもないわけではないけどそれでも先生を助けてあげたい、役に立ちたい、守ってあげたいと思う。互いに互いを心の支えにして生きていく関係になれたらいいな。


僕にとっての愚痴は話しても解決しないもの。話しても気持ちが楽にならないもの。つまり話しても意味のないもの。こういうものは自分の中で処理する。話しても解決しないけど気持ちが楽になるものは僕にとっては愚痴ではないから喜んで聞きますよ。それは愚痴なんてものじゃなくもっと意味のあるものだと思うから。


精神医療において『言葉』の持つ意味ってかなり大きいよね。まあカウンセリングなんてまんまって感じだけどさ。どんな言葉をどのようにどのタイミングで患者に伝えるか。難しいね。


くっそぅ…おでこがかゆすぎる。おれは一体何がしたいんだろう。自信なくなってきた。本当はどうして生きていきたいのだろうか。もう難しいことはできない。無理する余力はもう残っていない。お金もないし。気力もないし。自信もないし。何もない。やっぱり復職するしか生きていく道はないのかもしれないとさえ思えてきた。何かあるはずなんだ。どこかに僕のような人間が生きていける場所があるはず。もう何もかも手遅れなのか。自殺という選択肢が頭をかすめる。これはあくまで最後の手段。どうしたらいいのかわからない。自然に自分の気持ちにまかせて生きる道を探すしかないのだろうか。先生のことを心配している場合ではなくなってきた。僕のほうが先に壊れそうだ。