妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

世の中に合わせて嘘を吐いて演技をするのが最も疲れる。気晴らしに街に出かけようか。


レキソタンデパスを飲んで何とか気持ちを落ち着かせて外に出てきました。給料がもらえるうちは最後まできちんと仕事をします。僕のちっぽけなプライド。後ろを振り返るな。前を向け。Soundgardenを聴いてテンションを上げる。昨日ジミヘンのBOXが発売日直前で3000円も値上げして辟易した。この値段なら買わないかも。また脳内貯金が増えるね。


いつものカフェに来ました。まだラテの機械が直ってないということでカフェオレにしてもらいました。それからクロワッサンと小さなピザでひとりランチ。でももう淋しくない。むしろこの居場所はひとりでいたほうが癒されるのかも知れない。以前はテーブル越しの向かいの椅子に誰かがいて、楽しくお話しながらコーヒーを飲めたらいいのにとか思っていたけど。今はもうひとりに慣れた。常連になって店員さんと馴染みになったことが大きいかな。孤独を楽しめる居心地のよい居場所になった。美味しい珈琲とパンを堪能して好きな音楽を聴きながら好きな本を読む。物思いに耽りながらこうして自分の脳内を記録する。贅沢な『孤独な時間』。


眠くてたまらない。Soundgardenを聴きながら夢野久作を読んでいるのだが集中力が切れてしまった。千奈美iPod-ImageX5です。nanoとclassicを持っているのだが最近touchが気になって仕方がない。でもどうせネットもやらないし動画も見ないだろうから買わないつもりでいる。今のiPodが壊れたらウォークマンにするかも知れないな。少しだって不安や面倒な部分があると物欲は失せる。


眠い。カフェインが足らない。珈琲を追加しようか。レキソタン飲んでコーヒーを飲むのってやっぱり矛盾しているのかなぁ。相殺しているとも言える。レキソタンの副作用であるところの眠気をコーヒーによって抑える。しかしながらレキソタンの効用であるところの抗不安が、カフェインによる興奮の作用によって相殺されるというのは考えにくいと思う。それ程までにカフェインに強い作用があるとは思われないからだ。だから単純に眠気を覚ますために珈琲を飲むというのは間違っていないはずである。


ブレンドコーヒーとチョコの入ったクロワッサンを追加した。お陰で目が覚めたよ。カフェイン中毒っていうのもあるみたいだけどアルコールより全然ましだな。まあ何事もハマり過ぎはよくない。適度なバランス感覚が大切。気持ちは落ち着いている。すっかり寛いでいる。こういう居場所は本当に貴重だよね。探して見つかるものじゃない。偶然あるいは必然に出会うもの。


いよいよ心理学の本を読み始めようか。前を向いて生きていくしかないんだ。余計なことを考える暇がないほど忙しくしていよう。今の自分に自信が持てるように。自分を信じることができれば何事にも惑わされずに新しい道が開けるまで突っ走っていけるはずだ。


新しい道から逃げるために無理して復帰するくらいなら、同じように無理をして新しい道に進んでいくほうがいい。同じ無理をするならそっちのほうが絶対に望ましい。復帰の可能性よりも新しい第二の人生を歩む可能性のほうが高い。仮に復帰したとしても結局辞めるはめになる。しかも更に精神に異常をきたすことになることは避けられない。それなら始めから新しい道を進んでいったほうがいいじゃないか。まあいずれにせよやってみなくてはわからないものだけれど現時点ではそのように考える。決して後ろを振り返らず前だけを見据えて生きていく。


急に胃が痛くなってきた。相変わらず寝る前のこの時間はおでこからこめかみにかけてかゆいし。街では楽しく過ごせたのに何だか家に帰ってきたら虚しくなった。疲れている。寝逃げしよう。おやすみ。


気持ちの浮き沈みが激しい。テンション低めで安定しているのが理想なのだが。明日は家にいる。掃除とか筋トレとかしようと思う。それから早起きはしたい。すべてがくだらない。何もしたくない。それでも生活のリズムは守らなければ。俺の脳内で起きているのだから俺が何とかするしかないし、何とかできるはずなんだ。自分の脳を制御できるのは自分しかいない。とにかくもう寝よう。