妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

何とか街に出かけます。何だかとても気分が悪いのだけど。何故かはわかりません。とにかくこうして外に出かけることも何もかもが虚しく、まるで意味のないことのように思われて苦しいのです。気持ちが不安定すぎて疲れます。今を楽しんで生きたいと思うのですが…なかなかどうして難しいものです。…


なんか気持ち悪くてイヤホンで音楽聴く気がしない。左の手はパックリかまいたち。右手がやっと治ったと思ったら今度は左手。初めての症状には心底落ち込まされる。今までにない症状だからどうしたらよいのかわからない。どう仕様もない。一体どう生きていけばいいんだよ…泣きたい。


ドトールに来てます。ローストビーフのミラノサンドを注文してチェブラーシカのクリアファイルを手に入れた。このミラノサンドも結構うまい。ブレンドコーヒーとセットにした。土曜日まで残っているかなァ。残っているといいな。


さっき駅ですげー清純を絵に描いたような女性が目に入った。後ろ姿しかわからなかったけど、絶対に可愛いと思わせる説得力のある後ろ姿だった。長くてきれいな黒髪をGIZAのアーティストみたいにして、服もシンプルな感じで思わず後をつけたくなるような女性。潔癖症な僕にはぴったりすぎる。普通の男から見たら地味で目立たない存在なんだろうな。僕の眼にはとても眩しく輝いて見えたよ。また会えないかなァ。


いつものカフェに来ました。マロンタルトとカフェラテ2ショット。ここのお店はパンだけでなくケーキも美味しいんだ。しばらくケーキは食べていなかったんだけどマロンタルトにハマってしまった。まさに完璧だ。もともとモンブラン好きなんだけど、これは生クリームのほかにカスタードクリームも入っている。これが絶品。そしてタルトのサクサク感がたまらない。すべてが必然で絶妙な味のハーモニーを奏でているのだ。もちろんカフェラテとの相性は抜群。素晴らしい。明日死んじゃうかも知れないんだから今を楽しもう。さっきそう思った。


ケーキとコーヒーを楽しんだ後、音楽を聴きながら夢野久作を読んだ。角川文庫の瓶詰の地獄に収録された『死後の恋』の続きを。これはなかなかヘビーだったな。やたら喉が乾くらしく読み終えたらグラス一杯の水がほとんど残っていなかった。とりわけ虐殺の描写は僕の脳内でありありと活動的に映し出された。『文字による無惨絵』文章を読むことで絵をイメージする能力というものは、人によって異なるはずである。漫画や映画であれば作者のイメージを一方的に受け取ることしかできないけれど、小説は読み手に残された余地がある。ただ作者のイメージを受動的に与えられるのでなく、読み手のほうも自発的にイメージすることになる。その絵は作者の文章と読者の想像という両者から描かれる。妄想家の僕が描いた絵は久作との共作ということになるだろうか。少し疲れた。口直しに何か飲みたいな。


ひとりはつまらない→ひとりでも楽しもう→テンションが上がる→誰かと遊びたい→テンションが下がる→ひとりはつまらない→以下永遠にループ。孤独地獄。


眠くて眠くてたまらない。レキソタンのせいか知らん。昨晩夜更かししたせいか知らん。外は風が冷たくて体感温度は低い。電車から降りたら寒さで目が覚めるだろう。


鬱すぎる…なんかもう新しいものに手を出す気になれない。つまらない。今あるものを楽しめばよい。それはそうなんだけど、そううまく考えられないのが人間というものなのだ。そんなに単純じゃないんだ。軽い収集癖や買い物依存があるのかも知れない。もう何もしたくない。ひどく疲れた。こんな夜は早く寝るしかないんだろうな。苦しみから逃れる最後の手段は寝逃げだ。まだ眠る気にもならないのだが。最近はテンションが上がったり下がったり安定しない。気持ちの波が激しい。薬を減らしたせいだろうか。全然わからない。おそらく誰にもわからない。自分で自分がわからないんだもの。他人がわかるはずがない。何か新しい展開が欲しい。このままじゃ追い詰められていくだけだ。