妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

通院日なので街に来ました。ドトールでカフェラテとローストビーフのミラノサンド。まだクリアファイルもらえた!先生にあげようね。なんか注文するのにやたら緊張した。あまり体調がよくないみたい。診察時間まであと一時間か…いつものカフェに行くには中途半端な時間だな。ドトールで音楽でも聴きながら、先生とのお話の準備をしようかな。


なんか泣きそう。泣きたい気持ち。何故だろう。わからない。Soundgardenを聴いてテンションを上げよう。ピンクのレキソタンも飲んだ。今を楽しむんだ。


ドトールの椅子は長時間座ってるとケツが痛くなってくるな…やはりソファじゃないと駄目だな。少し気持ちが上がってきたようだ。


森田童子を聴くと胸が締め付けられる。泣きたい気持ち。だけど何だか心地いいんだ。このまま死んだら気持ちいいだろうなァ。なんて思うんだ。童子の声は優しく純粋で透き通っていて説得力があって、僕の心を響かせるのです。


まあいいか。遊ぶというその事実が重要なのであって、時間は関係ない。できれば長いほうがよかったけど、一時間ならいつもより長いから十分だ。それに何より大切なことは、これは始まりに過ぎないということだ。これっきりでおしまいなのではなく、これから二回目、三回目と続いていくはずなのだ。友達だから遊びたい。ただそれだけの理由なのだから。


ドトール→精神科→カフェ。いつものカフェでクロワッサンとモンブランとカフェラテ2ショット。マロンタルトがなかったので仕方なくモンブランにしたのだが、これも普通に美味い。あっという間に食べ終えた。先生とお話して疲れたのかな。診察は時間が限られているから気を使って話さなければならないのが嫌なところだ。当然に仕方のないことなのだけれど。先生と患者さんのあいだに僕の居場所はあるだろうか。患者さんに僕のような人間が果たして必要とされるだろうか。先生と患者さんの懸け橋のような存在になれたらいいなと思う。僕はお節介になりたい。自分のことも自分でできないけれど、苦しむ誰かの支えになりたいと思う。偽善者でなく詐欺師でもなく、何の見返りも求めることのない純粋なお節介になりたい。そんな生き方をして死んでいきたい。


ちょっと喋り過ぎたかなァ。相手が天然なひとだとついつい言わなくてもいいことまで話してしまって後で後悔する。天然なひとは裏表がないから安心して心を開いてしまうんだよな。まあいいか。そんなひととお話できるって幸せなことだよ、きっと。嫌われてないだけでもうれしいことじゃないか。いつの間にそんなに自分に自信を持つようになったんだよ。まあ少しテンションが上がって暴走してしまったことは否めないかな。悪いことじゃない。天然なひとに悪いひとはいない。そんな雰囲気だったのだ。自然に起こった会話だ。気にすることじゃない。気楽に考えよう。お話して楽しかった。それでいいじゃないか。疲れたなァ…今週は二回も先生に会えるのか。実感がわかないな。少しずつ変わってきていることは確かなようだ。楽しもう。今を楽しもう。死ぬまで楽しもう。


正直テンション下がったな。でもこの次もそのまた次もあるから気にしない。本当に忙しいんだから仕方ない。いつか暇な日に遊びたいな。時間を気にすることなくお話したい。


そもそも僕が無理を言ったのだ。先生は忙しいのにも関わらず僕の無理を聞いてくれたのだ。悪いのは僕なんだ。自業自得か…しかしタイミングが悪いなァ。来年からはもっと楽して欲しいよ。


顔を掻きまくってしまった…いつものようにおでこからこめかみにかけて痒くなって、頬や顎にまで広がった。痒みのピークが過ぎる前に耐え切れずに掻き始めたらもう止まらない。眉毛も抜けた。大量の粉が舞い落ちる。今は顔中がヒリヒリと痛む。自己嫌悪。アトピーに負けた。弱い自分。疲れがひどくて眠いのだ。とても痒みに耐えられる状態でなかった。もう寝る。すべてに疲れた。不安になるだけで何もできない。気持ちは焦るばかり。せめてアトピーだけでもよくなってくれよ。先生と遊ぶ気力すらなくなってきた。何もかもどうでもいい。