妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

また脳内貯金か。ズボンのポケットに物入れるの嫌なんだよな…重いんだ。なんか気持ち悪くて落ち着かないし。だから革のケースは必要ない。本当に必要なものしか買わないと決めたんだ。今気になってるスツールも、どうやら必要なさそうだな。つまらないけど、物欲を満たすことよりも小さな幸せを感じることを探したい。お金では買えない価値のあるもの。


今日は通院日なので街に出かける。一週間ぶりの外出。外は晴れたり曇ったり、不安定な天気である。無気力。眠い。本当は外になんか出たくないのだが、先生に会いたいので仕方なく出てきた。テンションは底辺。もう何もかもどうでもいい気分だ。音楽を聴く気にもなれない。しんどい。疲れた。眠い。


ドトール→精神科→カフェ。いつものカフェでクロワッサンと小さなブリオッシュとカフェラテ2ショット。診察前にドトールでジャーマンドッグとカフェラテ。先生とお話して少し気持ちが落ち着いた。安心感。テンションが上がるまでは行かないけど癒された。よいときと悪いときがわかるというのも大切なことだよね。考えなければ何もわからない。自分のことさえも。もちろん考えているだけでは何も進まない。考えたらそれを行動に移せばいいんだ。先生も無理をして健気に生きているのだから、僕も少しだけ無理をしてみるよ。体が動くときはできるだけのことをして、動かないときは思い切って休んでしまう。中途半端にだらだら過ごすのが一番いけない。


テンションが上がらないから早めに帰る。家に帰ったところで。外に出たところで。意味のあることなんてなくても、とにかく生きているだけでいい。生きてさえいれば可能性はゼロにはならない。今できることをやる。今あるものを楽しむ。


革のケースは大きすぎてズボンのポケットには明らかに入り切らない。うまく使いこなすのは難しいから脳内貯金。スツールは今ある椅子を使えば必要ないから脳内貯金。もうできるだけお金は使いたくない。必要なときに必要なだけ。小さな幸せ探しの旅に出る。先生と遊んだときみたいなプライスレスな時間がもっともっと欲しい。


過去のことは今はもうできない。未来のことは今はまだできない。今できることは今、現在のことだけ。


診察のときより遊びのときのほうがより癒されるなんて面白いね。医師のときより素の先生とお話したほうが何倍も楽しめるし安心する。変わった関係だからこそ起こり得ること。これは不思議で面白い。


労働も適度にして充実感を得ることが必要だ。労働は仕事だけじゃない。家事はもちろん労働だし、筋力トレーニングなんかも労働と言えるかも。難しい本を読んだり、書き物をしたりするのも労働と言えるかも知れない。まったく苦労を伴わないものは労働ではないと思われる。


革のケースを買わない代わりにトートバッグが欲しくなってきた。少ないながらもボーナスが出たのだから、やっぱり全額貯金じゃあつまらないでしょ。値段もお手頃だし。このくらいの値段のものをちょこちょこ買うのが楽しいかも。値段の高いものはことごとく脳内に貯金した。小さいものをいくつか手に入れたほうが満足度は高いのかも知れない。おでこからこめかみにかけてと、目の周りまでもが痒くて悶えている。痒みのピークが過ぎるまで、ただひたすら耐えるのみ。たまには自分へのごほうびがないとやってらんないよ。今回は自分へのクリスマスプレゼントだな。


やっと痒みのピークが過ぎたようだ。そろそろ寝ようかな。また先生と遊べると思うとワクワクした気持ちになる。気分が高揚する。つまりはテンションが上がるということか。やはり物凄い破壊力だな。この楽しみがあるだけで生きていける。前向きに考えることができる。先生の存在がどれだけ僕の心の支えになっていることか。どれだけ救われているか。とても一言では言い表わせないよ。本当に感謝してる。おやすみなさい。