妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

朝早く起きれなくて朝食食べずに街まで出てきた。眠い。いつものカフェに来てます。昨夜の地獄の傷跡がひりひりと痛みます。朝もレキソタンと一緒にデパスを飲みました。クロワッサンと小さな食パンとクリームパンとカフェラテでひとりランチ。食後にレキソタンとまたデパスを飲みました。これだけ飲んでも特に変わらない気がするなァ。デパスもラムネになっちゃったかな。まあ薬は『お守り』だからいいよね。飲んで少しでも安心して気持ちが落ち着けばそれでいい。薬を飲むという行為が大切なのであって、薬の効果はそんなに重要でないのかも知れない。しかし疲れている。ちゃんとぐっすり眠りたい。やはり痒くなったらおしまい。痒くならないようにするにはどうしたらいいんでしょう。時期が来るまでじっと耐えて待ち続けるしかないのか。その中でできるかぎりのことをする。少しだけ無理をして。もうそれしかないよね。今は苦しいけどいつか楽になるよ、きっと。


さてあと一時間ちょっと何して過ごそうか。音楽聴きながら眠っていようか。先生とのお話の準備をしながら。小さな秘密の手帳を見返して。この眠気はお薬のせいなのかそれともただの寝不足かあるいは両方か。疲れた疲れた疲れた疲れた。先生に甘えたい。この疲れた心を癒してほしい。


カフェ→精神科→ドトール。カフェモカを飲んでいる。たまには甘いものもいいよね。体が温まる。カフェで帰りぎわにたまごのサンドイッチを頼んで、クリニックの待合室でりんごジュースと一緒に食べていたら、僕の順番が呼ばれてしまったのでそのまま診察室で食べながらお話した。サンドイッチはあまりおいしくなかった。なんか先生病んでたなぁ。苦悩してる感じ。先生も苦しんでいるのだから僕も苦しもうと思った。前半に僕のお話をして後半に先生のお話をした。遊ぶ約束はできなかったけど、たぶん飲む約束ならいけると思う。僕は飲む約束のつもりだったんだけど伝わらなかった。この次はきっと約束できるといいな。


薬に依存するか精神科医に依存するか。薬に頼るか精神科医に頼るか。薬を信じるか精神科医を信じるか。薬と精神科医を切り離して考えるからおかしくなるのではないか。薬は精神科医が処方するもの。だから薬と精神科医とは切っても切れない関係にあるはず。精神科医の責任で処方した薬を患者がODするのは患者の自己責任ではないか。精神科医は副作用の責任は負っても、ODという通常の使い方でない場合は免責されるはず。そこまで医師が責任を取らされるのは酷だし、それでは恐くて薬なんて出せない。患者がODをする危険性を精神科医が認識できるかあるいは認識できる可能性があったという例外的な場合以外は、医師の責任ではない。勝手に誤った使い方をした患者にとやかく言われる筋合いはない。薬を処方するときにちゃんとしっかりとした説明をしておけばそれでいい。やっぱり先生は真面目すぎるのか。少数のキチガイ患者のために自信をなくす必要はまったくない。相手にせずに無視していいときもある。すべての患者に対して全力でぶつかっていったら先生が壊れちゃうよ。ケースバイケース。臨機応変。優しすぎる先生は少し天狗になっているくらいがちょうどいいかも。自分のことを過小評価しすぎている。


薬に神経質になってるときにODしたくなったなんて言っちゃったな。でも僕はそんなことしないと信じてくれただろう。したい気持ちになるのと実際にするのとではまったく異なる。例えば死にたいと思うのと実際に自殺するのとでは全然違うでしょ。考えと行為のあいだには高い壁がある。いい意味でも悪い意味でも考えてから行動に移すまでには時間がかかる。しかし衝動的な力はそれを飛び越えるのだろうか。眠くてこれ以上考えられない。携帯いじりながら気付いたら眠ってしまっていた。


精神科医の役割は患者がODしないようにすることじゃないだろうか。患者なりの理由があるわけだから理由を見つけて、薬に対する考え方を改めさせなければならない。薬はドラッグではない。薬はお守りだと気付くまでには時間がかかるだろうし、そのように思えないひともいるかも知れない。でも薬はドラッグではないということは絶対に正しいし、すべての患者にそのように思わせなければならないと思う。それが精神科医の役割であり、精神科医の存在価値なんじゃないだろうか。理想は信頼関係を築くことだけど、ある程度妥協しなければならないときもあるだろう。それが一時的なものなのかずっと続くものなのかは患者次第。結局先生だけが本気になっても患者自身がちゃんと自分で考えないと駄目なんだと思う。


最悪な気分だ。疲れた。先生も疲れていた。おそろいのお疲れさま。先生がいればそれだけで何もかもが意味のあるものになる。僕も早く先生のいるところまで行きたい。先生が苦しんでいるから僕も苦しむ。先生がいるから僕もいる。先生が生きているから僕も生きている。


みんなが見て見ぬふりをする。専門家であるはずの精神科医でさえ関わることを拒む。そんな患者。そんな誰も取り上げようとしない問題に立ち向かう。だから僕はそんなお話を聞くのが好き。真実から目を背けてはならない。