妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

息ができない。苦しい。デパスを飲んだ。やっぱり支えがないと駄目だ。泣きたくなるほどつらいとき、死にたくなるほど苦しいとき。そんなときでも頼ってはいけないの?僕は弱い。でも今は病気なんだ。寛解なんてまったくしていない。まだ療養中なのです。分からない。
信頼って何なの?どこからどこまでが依存なんだろう。僕は先生に対して、どこまでなら許されるのですか?どこまでが患者でどこからが友達なのか。分からない。やっぱり先生のやり方、今の僕にはきつすぎるよ。負担が大きすぎる。


急激な変化は大きな負担になる。予定が急に変更になったり、何でもいつも通りでないとストレスになる。僕はその変化についていくことができずに、頭の中が混乱してパニックになるんです。今回の先生のやり方は、僕にとってあまりに急激な変化でした。先生はおそらく知っていたはず。にも関わらず、あえてそうしたのは何故なのだろうか。
僕の先生に対する依存に拒否反応を示した、その勢いそのままに一気にすべてを変えようとした。僕にはそんなふうに思えるのです。今回のことは、僕だけでなく先生にも責任があります。感情的になることなく、冷静に話し合いたい。正直な気持ち。今回のことをきちんと整理して、その上でこれからのことを考えることが必要だと思うのです。


何とかない気力を振り絞って、長く伸びたひげを短く切って整えた。何だかやたらに時間がかかった気がするけど、とにかく短くして気持ちがすっきりした。今日は体調が最悪なのに仕事もしたのです。
自分へのごほうびが必要。そうだよ。今までだって、自分へのごほうびをあげたくなるようなことを、ちゃんとやってきたじゃないか。先生を心の支えにしながらも、やるべきことは自分の力でやってきたんだ。だからまったく先生に依存してたってわけじゃない。すべてから逃げていたわけではなかったんだ。先生は僕が依存しているとは言わなかったかも知れない。ただそうなる可能性が高いと。だからそうなる前に変えるのだと。そう言っていたのだろうか。
『これが私だと思って下さい』だなんて、そんな悲しい言葉も思い出した。何だよそれ、もうこれでお別れみたいじゃないか。そんなふうにして、誤解されたまま二度と会わなくなったことが、すでにこれまでに何度かあったような感じだった。僕もそうなると諦めかけた言葉だったのだろうか。僕は先生との出会いを、そんな簡単に手離したりはしない。これからも僕の唯一の理解者であり、心の支えで居続けて欲しいと願います。


僕は先生に依存していたのだろうか。この前提が不確かなものになると、問題はちょっとややこしくなる。依存する危険性だけで、ここまで変える必要があるのか。しかも僕という患者は、大きなショックを受け、心は深く傷付き、頭が混乱して病状をひどく悪化させた。さらに変化が急激なものだったことは、僕の気持ちをより一層不安定にして、僕は唯一信じることのできるひとに裏切られたと感じ、絶望を感じて死にたいとさえ思ったのだ。
先生を責めるつもりはまったくない。ただ今回のことはきちんと検証なり分析しなければならない。曖昧なまま済まされるものではない。それは僕のためであり、先生のためでもあるのだと思う。先生は話したがらないだろうか。僕は先生の前で嘘をつくことができない。だから自分の考えをすべて話してしまう。どうするかは先生次第。僕は自分の気持ちを話すだけ。先生の答えは求めない。先生の判断に従うのみ。僕は先生の患者なのだから。