妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

何をしていたって死にたいんだから、復帰しても変わらないんじゃないだろうか。何も期待はしない。病気と仕事のストレスは半端じゃない。充実した毎日を過ごせるなんて、そんなはずは絶対にない。普通じゃなくていいんだ。普通を強制されても従わず、自分が生きやすくなることを優先する。死にたくても将来のことは不安になる。復帰すれば少なくとも将来の不安は消える。
自分に合った仕事なんてない。今ある仕事を自分に合うようにするだけ。僕が僕のままでいられるような場所は、自分で作るだけ。すべては自分の脳内で起きている。現実のことは自分の脳内で、自分に合うように変換する。自分が現実だと感じるものを『現実』と呼ぶならば、脳内の世界が現実の世界になる。自分に合った世界が現実の世界になるんだ。生きていくのなら、やるしかない。死にたくても死ねないのなら、そうしたらもうやるだけ。自暴自棄でなく自然に、気持ちは復帰へと傾き始めている。


もう先のことを考えるのはやめよう。悪いほうに考えれば不安になるし、よいほうに考えれば期待することになる。僕は誰にも何も期待しない。そう決めたんだ。だから先のことを考えて、頭の中でシュミレーションするのは無意味。一般的にいう考えすぎないということにつながるのだろうか。考えないほうが気が楽になる。考えて安心していたのは、そういう気になっていただけ。本当に安心できたわけではないのだと思う。実際シュミレーション通りになった試しがないよね…無駄に疲れるだけ。


先生のことは唯一信じるよ。だけどもう頼らない。頼ることは期待すること。先生は僕の期待に応えられないと言った。だから僕は信じることしかしない。


明日の仕事のことを考えると恐くてたまらない。先のことは考えてはいけない。明日のことだって。この場合は考えても不安になるだけ。何の意味もない。無意識に考えてしまう。期待なんて最初から何もないのだから、考えても不安しか見えない。この考えるという行動は不安感によるもの。だから考えることによって、余計に不安になるという矛盾になる。不安によって、不安感をより増大させる行動をしている。
やはり復帰するといっても簡単なことではない。僕がこれから生きていくためには、乗り越えなければならない試練がたくさんある。どんな道を行くにしても。久しぶりに首を振っている。チックみたいな症状。ストレスが強い証拠です。現実逃避したい。こんなときは現実から逃れてしまえばいい。やるべきときにやるべきことができたら、それでよいのだから。理屈は分かっていても、実際はそんなに単純なものではない。結局は無理してやるだけか…