妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

案の定昼まで起きれませんでした。何もしなくていいから早く起きるというのは、もういくら自分に言い聞かせても意味がないような気がします。何もしなくていいならこのまま眠っていてもいいんじゃないか?気力がないと駄目になります。何を買おうか。苦しみに耐えて生きている自分にごほうびを。先生と遊べたら一番のごほうびになるんだけどな。先生との関係がまたよいかたちに戻れたことで、僕の死にたいほどの苦痛もかなり和らぐようになりました。先生がいるから僕はまだ生きることを諦めずにいられる。


せっかく気持ちが上がっても、些細なことで急降下する。いらいらして気持ちが不安定になったので、デパスを飲んで気を静めます。不安で過敏な神経質。先生のことを考えようか。楽しいことを考えよう。無理してでも楽しむなんてことできるのかな?自然に楽しめたら一番いいよね。


寝る前になってこめかみの辺りが痒い…今週は毎晩のように痒みに耐え続けている。もうどうすることもできない。結果として苦痛に耐えているわけだから、それでよしとするしかないのかも知れない。生きている限りは耐えることができているということなのか。死なない病気なんです。ただ耐えるだけで当たり前の生活ができないのなら、僕は耐えることに意義があるとは思えません。病気を乗り越えていることにはならない。耐えるだけで満足していたらそこまで。僕はもっと先にあるものを見据えているのです。


やはり痒みが落ち着くまでは眠る気にならない。眠りに落ちて無意識になった瞬間、本能のままに掻いてしまって結局すぐに起きるはめになるのだ。自己嫌悪と罪悪感と絶望の気持ちを持って、自分の体から出た『ごみ』を掃除する惨めさは、この死なない病気に苦しむひとにしかわからないだろう。まあこんなことはわからないほうがいい。
今日は昼まで寝ていたのでまだ眠気はないようだ。いずれ来るはずの眠気より先に痒みが落ち着けばいいと願います。千奈美にお風呂から出た後に首がたまらなく痒くなって少し掻いた。今は首は何ともない。こめかみから痒みが広がるのが恐怖なのです。特に頭は最も嫌なところ。精神的にきついから。もちろん顔全体もつらい。水や血や汁が出たらもう地獄です。人間なら誰しも死にたいと思うに違いない。死なないけれど死にたくなる病気なのです。


午前三時半になるところ。二時前にようやく痒みが治まったと見えて眠りについた。結果はこのざまです。顔と頭を掻いて起きました。手も掻きました。顔から血が出ました。頭は昨日よりはましでした。何とか早めに起きたのです。しかしかさぶたがひどいな…気持ちはよくわからない。精神的なダメージは計り知れないだろう。何しろ毎晩だからね…少し前までは三日に一度とかだったんだけど。さすがに毎晩となるとね。何だか逆に笑えてくる。気が違ってしまいそう。
掻いたところが痛いよ。心はもっと痛い。もう諦めかけている。当たり前の生活は望めない。だけど先生がいるからまだ何とか大丈夫。ひとりだったら自殺してるよ。本気でそう思う。先生の存在は実際大きすぎるほどだよ。病気持ちなりの生き方でいいよね。そう考えるほうが気が楽になる。今は病気のことだけでいいんだ。僕は今病気と闘っているのです。もう疲れたよ。先生は疲れないの?先生がそう言うなら僕ももう少しやってみるよ。先生がいるからひとりじゃないよね。