妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

昨晩は奇跡的に朝まで起きずに眠れた。掻いた記憶もないし掻いた痕跡もほとんどなかった。とりあえずは実験成功か。いやこれが続かなければ成功とは言えない。でも本当にひさしぶりの快眠だったので結局昼まで寝てしまった。まあ人間らしいじゃないか。痒みで起きずに眠れることが当たり前になったら、早起きして少しずつ生活のリズムを取り戻していけばよい。普通に眠れただけで朝の精神状態がこんなに楽だなんて。自然体でいれば何とかなるようにできているのかも知れない。自然に逆らうことなく受け入れる。それでうまくいく。


まだ夕方だというのにおでこからこめかみにかけて猛烈な痒み。一日くらい痒みから解放されたい。人生は生き地獄のような罰ゲーム。最期は自殺しておしまい。


夕食の味を楽しむ余裕もなかった。ああああああああああああ!壊したい。狂いたい。死にたい。


今晩はお風呂から出て顔に化粧水を軽くつけた。体は何もしていない。顔は乾燥が気になったので一応。首が痒くて痛い。手のひび割れも痛い。痒みのせいで無気力になった。ヒスタミンセロトニンの関連性はあるのだろうか。何もかも楽しめない。レキソタンを少しODしたけど眠くならないな。あてのない人生になってしまった。死ぬまでただ生きるだけ。死ねないからただ生きるしかない。病気だから仕方ないよ。欠陥を持った人間が幸福に生きられるはずがない。よくここまで耐えて普通の健康な人間と同じように生きようともがき続けてきたと思うよ。でもね、ひとには限界ってものがあるんだ。ひとりで限界なら仲間に頼ればいいのか。そしたらまだ限界じゃなくなるのかな。僕にとって生きるということは苦痛に耐えるということ。残酷な現実です。


現在午前二時半前。起きたのは一時半過ぎだろうか。頭を掻いて起きました。しかしそれほど強い痒みでなかったので、掻きまくるというほどではなく被害は少なくて済みました。なので精神的には落ち着いている。最初に手を掻いて最後におでこからこめかみにかけて掻きました。痒くなったらおしまい。夕食前にもうすでにこうなることは決まっていたのです。頭を洗うときにせっけんを軽くつけるだけで洗い流すと、頭が痒くなってもそれほど掻かないでいられるような気がします。
それからふと思ったのだけど、調子が悪いからといって何かを変えるというのは、実はよくないのではないかということです。病気に振り回されて本来変えなくていいものまで変えてしまう危険性があるから。何かを変えるだけで調子がよくなるなんてことは、今までの経験からいってもほとんど不可能に近い。だから調子が悪くなる前と変わらずに耐え続けるのが一番のやり方なのではないか。いや変えても問題ないものだけは変えてもいい。変えてはいけない可能性のあるものは変えない。変えることで逆に悪化に拍車をかけることになってしまうようなもの。
つまり変えるということはやはり慎重にならなければならないのだと思う。変えてみて少しでも違和感があったらすぐに元に戻す。乱暴な言い方をすれば何もしなくても調子はよくなる。少なくともある程度は。今が最悪だとしたら悪くらいにはなるのだ。治そうだなんて思っていないし治るとも思わない。ただ最低限当たり前の生活ができるくらいに回復すればいいと思っている。焦らずゆっくりと少しずつ。僕は病気持ち。堂々と療養に専念するつもり。余計なことは考えなくていい。今はそれで許されるのだから。病気だから許されるんだよ。僕は病気なんだ…


現在午前四時前。頭を掻いて起きました。掃除をしたので三時半前くらいか。顔と首と耳も掻いた。掻いてから起きても痒みが治まらなければ、そのまま寝たらまた掻いて起きるのは当然か。痒みが治まるまで時間を置かなければならない。すぐに寝たくてもこうして起きてしまえば余計に疲れる。しかしどうしたら痒みが治まったといえるのか難しい。治まったと思っても潜在的な痒みが残っているかも知れないし。現実的にはやはり掃除をしたらすぐに寝るしかないのだろう。それでまた掻いて起きたらそれだけ痒みがひどいということだし、そのまま朝まで眠れたらそれはそれでいいことだし。ただそれだけのことかな。さすがに二度目は惨状がひどくなくても精神的なダメージは大きい。まあ病気だから仕方ないよね。