妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

昨晩は昼まで起きることなく眠れた。だけど顔から血と汁が出て固まっていたし、頭を掻いた形跡も残されていた。結局のところ掻いたことには違いないのです。起きるか起きないか。掻いた記憶がなくても目覚めて掻いた証拠を見せられれば気持ちは落ちる。朝まで眠れていた頃とそれほど変わらないのかも知れない。仕事してたときだって決してアトピーの調子がよかった訳じゃないし。自分の気持ちに従うしかない。これからどうして生きていくのかを決めるのは誰でもない自分自身だ。そのときは必ず訪れる。僕は自然にまかせるだけでいい。


痒くて眠れない。眠いのに眠れない。泣きたいくらい悲しいのに泣けない。何もかもくだらなく無意味なものに思えてくる。疲れている。そう疲れているんだ。だから眠って疲れを癒さなければならない。体が睡眠を求めている。安らかに眠りたい。ただそれだけの当たり前のことすら許されないなんて…痒みは気力を奪う。何もできない。何もやる気にならない。病気持ちの人生に嫌気がさしてきた。何故僕は健康じゃないのか。健康じゃないのに普通の人達と同じように生きることなんてできないよ。それなのに親が世の中が普通の生き方を強要するんだ。僕だってできるならそうしたいよ。新しい道を行くより今ある場所に戻ったほうが楽だもの。やりたいとかやりたくないとか言っている余裕はもうないのです。やりたくなくてもできることなら、それをやらなければならない。そうでなければこれから先生きていけないのです。僕はまだ死にたくないからそうするより仕方ない。
人生は妥協の積み重ねなのかも知れません。何のためにとかそういう問題でなく、ただ死にたくないから生きるのです。あるいは死にたいけど死ねないから生きる。どちらにせよ生きなければならないことには変わりない。無理をして生きる。それは義務であり欲求でもあり、そして本能であるはずです。人間という動物としての本能。生存本能は誰にもある。自殺するのは理性のせいでしょうか。自然にまかせるのがいい。それはできるだけ本能のままに生きるということになるのか。こんな考えも何の役にも立たない。考えるだけ無駄だと思うようになってきました。痒みから気を紛らせるためにこうしているだけで、それ以上の意味は特にないのです。何もかも嫌になってしまいました。生きることも死ぬことも。『無になりたい。』これが今の僕の気持ちに一番近いかも知れない。


午前3時15分になりました。やはり掻いて起きました。寝る前からおでこからこめかみにかけて痒みがあって左側から水が出ました。首も危なかったけれど何とか無事でしたが、頭を掻いてしまって起きるはめになったのです。頭は特に痒い訳でもないのに無意識あるいは意識的に掻いてしまいました。手癖というか掻き癖みたいなものなのでしょうか。だから軽く掻いたので被害も少なくて済みました。まあ少ないとは言っても掃除をしないといけない程度ではあるんだけどね。頭を掻くと厄介だと分かっているにも関わらず半ば自発的に掻いてしまうとは。自己嫌悪になります。掻き癖も病気の症状ではあると思うので仕方ないのかも知れません。しかし自分の意識でどうにかなる状態だとも思えるのでやはり自分を責めたくなります。自分の意志の弱さを感じるのです。
さてもうこうなってしまうと寝ることさえどうでもよくなってしまうのだが、どうしましょうかね。痒みは落ち着いたようです。寝るしかないかな。また掻いて起きるようなことになったらバカらしいので慎重にならざるを得ない。不便な体。気持ちは落ちている。眠れないことよりも掻いてしまうことのほうが問題です。掻いても眠れたらそれでいいのなら眠剤を飲めばいいだけ。リフレックスのような抗鬱剤を飲んで副作用である強烈な眠気によって眠ればいいだけ。朝起きたときに地獄が待っている。まあ眠れないのも地獄だけど。いずれにしても生き地獄は変わらないか。僕は何処へ向かっているのだろう。自分でも自分が分からないよ。自分さえ分からないのだから何も分からなくて当然だね。何も分からないなら何も考えないほうがいいかも。