妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

いつものカフェに来ました。駅に着いたら日が雲の中に隠れてしまって風が冷たくて少し寒さを感じました。タルティーヌとカフェラテを注文しました。12時を過ぎるとランチタイムなので混んできました。あまり人が多いと落ち着かない。今日は静かな空間を楽しむことはできないみたいです。他人の話し声は有害な雑音でしかない。気にしないように自分の殻に閉じこもって身を固くしている。僕の居場所もときにはこういう時間もある。まあ仕方ない。僕の居場所だから意識しなくても大丈夫。気持ちに余裕があります。


小雨がぱらついてきた。時々日が差す。変な天気です。傘をさすほどの雨でなければいいんだけど。このところずっと似たような天気だな。晴れているのに雲が多くてたまに雨になる。この天候では天気予報が役に立たない。異常気象が異常でなくなってきた感じがします。異常が当たり前になれば平常になる。正しいとか間違ってるとかいうのは実に曖昧なもので、いつそれが逆になってもおかしくないような、そういう危うさを持った頼りなさを感じます。明日が今日と同じままである保証など何処にもないのです。明日死んじゃうかもしんない。そんな考え方にも繋がっている気がします。
ひとりランチを終えて別店舗に行ったら閉まっていたので、またいつものカフェに戻ってきました。体が冷えてしまったのでラテを飲んで暖めます。ゴマのあんパンと一緒に楽しむ。ケーキを頼もうか迷ったけどやめておきました。冬限定のチョコレートケーキが出るまではストイックに控えていようと思う。やはりウールのカーディガンは必要かな。マフラーも手袋もできないから。ファッションを趣味にすると田舎では満たされない。なるべく今あるものを楽しむ。趣味は多いほうがよい。偏り過ぎずにバランスよく興味を持ったほうが満たされる。


この前ジーンズを買った服屋に行って裾上げされたものを受け取ってきた。店長らしきひとがいてやけにいい感じの人に見えた。つまり応対がよかった。店員によって店のイメージが大きく変わってしまうな。まあ店長だから愛想がよいとも言えるけど、逆に店長だから愛想が悪いこともあるだろう。店長だからとかそういうことでなく、その人がどのような人間なのかによるところが大きいか。接客態度の悪い服屋の話はよく聞く。それでも服が売れていれば問題ないのかも知れない。
僕は人と話すとき、その人が嘘をついているのか本心を言っているのか見抜く自信がある。顔馴染みになるくらいでないと店員が本心を見せることは難しいと思う。客のほうだってそうだ。わざとらしい作り笑いをされても不快になるだけ。今日の人は不快な感じはなかった。客扱いに慣れているのだろう。僕は愛想笑いをした。自分の居場所が増えるのはよいことなので、この服屋はとりあえず見捨てないことにした。興味のあるブランドを扱う数少ない店だから。田舎で服を揃えるのは難しい。もう少し行動範囲を広げることができたらいいと思う。


最近メールで更新してもブログに反映されないことが多い。もう面倒だから気にしないことにする。メールで残したほうがあとで見やすいからメールから更新しているのです。適当なほうが楽でいい。


こめかみの辺りが痒くなってきたのでザーネを少量つけてみた。化粧水はつけていない。ほっとくだけとは言えやはり痒くなったら実験と観察をしたくなる。というより単に痒みが治まって欲しいだけなのだろう。痒みが落ち着くまでは眠れない。今日は久しぶりに外に出て疲れた。明日は通院日だから早起きしなければならない。本当は早く寝たいのです。もっとも明日は先生と会ってお話したいという強い欲求があるから、寝不足でも無理をして早起きして街に出かけることは簡単だけどね。


答えのない答えを求めて頭を悩ませることは無意味かも知れないけど意外と楽しいものです。考えを巡らす過程が楽しい。結果は出なくてもそこへ向かう道程を楽しむことができる。こんなお話ができる相手は先生しかいないよね。明日は楽しみたいな。