妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

通院日なので街に出かけます。外は小雨が降っていて風が冷たくて寒い。外に出る日に限って天気が悪いと嫌な気分になる。体調も悪いから鬱がひどくて気持ちが落ちている。昨晩は朝まで起きずに眠れたけど頭を掻いた形跡があって、それが看過できないものだったので朝から落ち込んだ。まあ朝まで起きずに眠れたからいいか。このくらいの形跡は何年も前からあったことだし気にすることはない。無理にでも自分に言い聞かせるしかありません。どうせ死ぬんだから細かいことはどうでもいいのです。


いつものカフェに来ました。小さなピザとフォカッチャとカフェラテでひとりランチ。電車でずっと寝ていました。やはり寝不足です。量が足りないというより質が悪いのでしょう。質さえよければ仮眠レベルでも大丈夫だと思う。食欲ないからこれだけで満たされた。少し気持ちが楽になってきました。馴染みの店員さんと言葉を交わしたせいかも知れません。しばらく家族以外のひとと会ってなかったから。やはり家で引きこもっているより外に出たほうがいいですね。もうすぐ先生と会えると思うと楽しい気持ちになってきます。気持ちが楽になってきたのは実はこちらのせいだったのかな。今日はそのために早く起きて外に出てきたのです。僕は先生がいるから生きている。依存でも構わない。ありのままで自然体でいるのがいい。先生の前では僕はどこまでも僕のままでいられる。先生と一緒の空間がこの世で最も安心できる僕の居場所なのです。


疲れた。寒い。雨が降るといけないから早めに帰ります。どうにか傘をささずに済みそうです。先生と話してテンションが上がったので、本当はまたカフェに行きたい気持ちもあるのだが。でも帰ると疲れてしまうから、通院日はカフェ→精神科で終わりにしておくのがいい。
クリニックでは一時間近く待ったのだけど、先生とのお話はかなり意義深いものになった。僕の話を終えると先生が自分のことを話してくれた。だから診察時間が長くなった。僕の嫌な予感はかする程度だが当たったみたい。先生も苦しんでいる。僕も苦しんでいる。先生が苦しんでいるから僕もまだ苦しみに耐えることができる。お揃いの苦しみ。僕は先生の力になれるだろうか。こうして先生の話を聞くということが、少なからず先生の役に立てているのだと信じています。悪いことは重なるもの。先生の身に何が起きているのか全部はわからないけれど、僕はいつも先生の味方なので応援したいと思う。僕は精神的に追い込まれて余裕なんて全然ないはずなのに、先生のことを心配して考えることはできてしまう。先生のことはまるで自分のことのような感じもする。いつも先生に助けてもらっているからとかいうのでなく、自然に当たり前みたいに先生を助けてあげたいと思うのです。