妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

昨晩はひさびさの生き地獄で何もかも嫌になって今日は昼まで寝ていた。被害は最小限だったからそんなに落ち込んでいない。昨日外に出た疲れも残っているので精神的にも肉体的にも休養が必要です。だから今日は何も考えずにゆっくり休みたいと思う。


十字架は懺悔のしるしか…


やはり通販で服を買っても満たされることはないな…高揚感がまったくない。失敗したわけではない。気に入らないわけではない。買ってよかったとも悪かったとも思わないのです。感想としては普通というか別に何もない。絶対に必要だったわけではありません。だけど欲しい気持ちは確かにありました。実際にお店で試着して買っていたら満足感を得ることができたのでしょうか。どこか虚しささえ感じるのです。僕の気持ちが落ちているせいか知らん。着ているうちに気に入るだろうか。新しいコートを着て街に出かけたいと思っていたのだが…


あーやっぱり『もの』より『ひと』なんだよなー。先生に会いたいな。はぁ…


無理してでも楽しんだほうが得か。そのうちに無理しなくても自然に楽しめるようになっているかも知れないし。まあ無理することと楽しむことは本質的に矛盾するはずなのだが。矛盾するように見えて矛盾しないこともあるのかも。本当は難しいことは考えずに気楽に生きたほうがいいんだろうけど。知っていてもできないことってたくさんあるんだよね。わかっているのにやめられない。


今は無理をする必要はないように思う。負担になるのならやめておいたほうがよい。僕は病気療養中の身です。許されることは甘えても仕方ない。無理をして損をするのは自分なのです。これだけ躊躇するということは無理をしたら負担になるということ。今は大事なときです。余計なストレスは極力避けなければならない。普通に健康な人達に合わせる余裕はありません。今は自分のことで精一杯。復活するまでは許してほしい。


憂鬱だな…先生のことを思い浮かべても気持ちが落ち着かない。不安感が拭えない。胸のあたりが締め付けられて苦しい。心が頼りなくて泣きたい感じ。すべてが虚しい。気持ちは上がれば下がる。下がれば上がる。底の底まで下がろうとしているのかも知れない。脳がそれを欲している。これ以上ないところまで下がればあとは上がるしかない。中途半端に下がるとなかなか上がらないのかも。場合によっては下がったままということもあり得るだろうか。中途半端に上がってもそのままということはないように思う。どのくらい上がっても確実に下がる。テンションは低めで安定しているのがいい。バランスの取れた状態。