妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

今日は11時頃に起きた。昨晩は起きることなく眠れた。顔から汁が出るのがなかなか治まってくれない。少なくはなってきているのだけど。明日は早起きして仕事をしなければならない。そのあとは街に出ようかと思う。


お風呂から出たら左のこめかみの辺りが痒くなってきた…何もかもどうでもよくなる。何もしたくなくなる。怒りと絶望によって気力を失う。明日は早起きして仕事をしなければならない。こういうときに限ってうまくいかない。生き地獄で眠れないまま無理をしなければならない。強迫観念によって自分の意思に関わらず体を動かされる。おでこまで痒みが広がってきた。もう駄目だ。何もできない。発狂寸前です。
もう本当に嫌になる。早く死んで楽になりたい。実際死ねないのは知っている。だけど死にたい気持ちになるのです。何故こんなに苦しまなければならないのだろうか。理由なんてないんだ。僕は無意味に苦しんでいる。もしも苦しみが終わったとしたら、そのために苦しんだという意味が生まれる。終わらなければ何の意味もない。ただ苦しいだけ。無駄に勝手に苦しんでいる。その様を見て誰かが笑っているのだろう。泣きたくなる。世の中は理不尽なことばかり。病気を持って生まれたらおしまい。死ぬまで苦しんで終わり。まるで苦しむために生まれたみたいだね。


仕事のプレッシャーによるストレスのせいで痒くなるのかな。ものすごく強いストレスなのは間違いないので、そうなっても全然おかしくないと思う。まあ結局は無理することになるんだけどね。無理せざるを得ない。強迫観念には逆らえないのです。苦しんでいるのに更に苦しまなければならない。決して自分で選んでいるわけではない。選ばされている。僕は何かに操られて無理をさせられる。何か強い力によって強制労働をさせられるのです。そこにはもはや自分の考えや思いなんてものは存在しない。僕は心をなくした操り人形と化す。だから仕事の後は決まって後遺症に悩まされることになる。僕にとっては何もいいことはない。組織の都合に従うしかないというだけ。仕方ないと言えばそうなのかも知れない。


痒みが治まらないと眠れない。明日が来るのが怖くて眠れない。二重の苦しみに耐えている。自分へのごほうびをあげなきゃいけない。でないとやってられない。苦しみだけではバランスが取れない。楽しみだって必要なんです。だけど本当はものでは満たされない。でも自分へのごほうびはものをあげることでしかあげられない。本当はひとでしか満たされないのです。先生に会いたい。先生とお話したい。ものはごほうびにならない。ならないけれど何もないよりはましなのだと思う。すべてを肯定的に見ることができるような満たされた気持ちになれるのは、先生と楽しいお話をして癒されたときだけです。そろそろダメもとでも寝るしかないか…寝ることすら普通にできない。