妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

二度寝を繰り返して11時頃に起きた。外に出る気にならなかった。気持ちは落ちている。昨晩は一度も起きることなく眠れた。ひとりになりたい。ひとりになりたい。


31分の9。1月の夜中に掻いて起きた数字。約3日に一度のペース。計算してみるとまだまだ全然駄目じゃないか。思ったより変わっていない。意識したところでよくなる訳でもないし、もう数えるのはよそうかな。普通に眠れるのが当たり前になったときには意識することもなくなっている。意識しているうちは当たり前になっていないということ。当たり前にならないと何もできないと思っていた。だけど当たり前にならなくても動かなければならなくなりそうな気がする。結局は無理をする。もう何もかも嫌になってきた。疲れたよ…


無気力なりに腹筋とストレッチをした。先生からの依頼のようなものを作成した。おそらくまた喜んでもらえるはず。やはり『お手伝い』がしたい。依頼は家でひとりでする宿題のようなもの。お手伝いはクリニックで先生と一緒に仕事をするようなもの。先生と遊びたいというのはあまり思わなくなった。先生の役に立ちたい気持ちのほうが強い。先生のためにすることは自分のためでもある。
次の通院日までいつもより少し間がある。それまでに少しでも成長したい。生きていくためにもっと強くなりたい。先生に頼ってばかりはいられないのです。ひとりでも歩いていけるようにならなければいけない。できれば追い込まれる前に、余裕を持って自分の道を選べるような状態にしておきたい。無理はなるべくしないで済むように。少しずつでも積み重ねていくことが重要なのだと思う。


何だか泣きたくなるような夜です。すべては自分の脳内で起きていること。脳って不思議ですね。仕事に行けなくなってから、本当にいろんなことを考えてきました。考え過ぎて苦しくなることもよくありました。だけどそれでも考えずにはいられなくて、ずっとずっと考え続けてきて今も考えています。不安だから考えて安心する。
仕事に追われていた頃は時間的も気持ち的も余裕が全然なくて、不安があっても考えを巡らすことさえできなかった。精神的に追い込まれて休むことになった。休んでから時間だけはある生活になって考える余裕ができた。今まで考えてきたことは無駄ではなく意味のあるものだと思います。これからも時間の許す限り考え続けていくのでしょう。考えることは病気と向き合うことでもある。僕らは人間だから時間に限りがある。いつかは死んでしまうのです。死んだらもはや考えることはできない。僕はまだ考えたいことがたくさんある。最期まで生きて考えていきたい。


生きている今という時間を大切にしたい。