妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

どうにか早く起きれたので街に出ました。いつものカフェに来てます。クロワッサンとクルミとピスタチオの入ったパンとラテでひとりランチ。懐かしいひとに会いました。お手伝いだと言うけど実際よくわからない。意外と自分のことを話したがらないひとなので、これ以上詮索するのはやめておきます。人には事情があるのです。知りたいと思ってもやたらに聞いてはいけないこともある。そういうことは相手のほうから話さない限り知ることはできない。自分の勝手な好奇心のみで、相手の領域にむやみに足を踏み入れてはならない。相手が話してくれたらちゃんと聞いてあげる。それでいいのです。
食後にレキソタンデパスを飲みました。まだ完全に立ち直った訳ではない。少しずつ自信を取り戻していく。よいことを積み重ねて悪いことを端のほうに追いやってしまえばいい。よいことしか見えなくなるまで。自分に暗示をかけて気持ちが楽になるように脳を制御する。薬は脳をぼやかすためでしかない。現実から一時的に逃れるためのもの。あくまで一時的な効果しかないお守りです。現実と向き合うためには自分しか頼りになるものはない。自分の力で何とかするしかないのです。気持ちの上がるきっかけは自分で見つける。見つからなかったら自分で作る。すべては自分の脳内で起きていること。僕ならできるはず。きっと強くなれる。


街をぶらりと歩いてきた。カラオケ屋に行ったら改装中みたいで休みだった。写真屋に行って証明写真のリベンジをしようと思った。カメラやスタジオの説明を受けている間に他のお客が来たので、「また来ます」と言って店を後にした。照明とかちゃんとしていて、この前の所とは全然違っていた。これでは写りが悪くなっても当然だと思った。暗い中でフラッシュ焚いただけだったもん…中古CD屋に少し居て、本屋でしばらく立ち読みをしていた。
歩き疲れて喉が渇いたので再びいつものカフェに来ました。懐かしいひとに「お帰りなさい」と言われてしまった。混んでいる。けれど居心地は悪くない。気持ちも上がりつつある。やはり外に出てよかった。自信を取り戻せそうな気がしています。近いうちにリベンジは必ず果たしたいと思う。第二の人生のために使えるかも知れない。もっとも本当の目的は自信を取り戻すことだけどね。トラウマを克服するには成功体験を積み重ねていくしかない。失敗を恐れずに行動するのみ。僕はよいほうに変わる。


どれだけ勘違いして生きていけるか。現実における条件が悪ければ脳内でよいほうに変換するしかない。この変換する作業こそ現実的に見ると『勘違い』と呼べるものなのではないかと思うのです。死ぬまで勘違いしたまま生きていく。最期まで勘違いしたまま死んでいく。現実世界では勘違いだとしても脳内世界では本当なのです。僕にとって本当である脳内世界において本当であるのだから、本当に本当の意味でそれは『本当』なのです。現実世界で生きているふりをして実際は脳内世界で生きる。そんな器用な真似ができたらいいと思う。自分の脳をコントロールする能力を身に付けなければならない。悟りを開けたらそんなこともできるのかも知れない。
今日は疲れた。だけど気持ちの上がるきっかけになった。僕は負けず嫌いなんです。格好いい生き方をして格好いい死に方をしたい。考えを行動に移す時期です。とにかく行動することを心掛けていきたい。