妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

早起きして街に出てきました。外は晴れている。クリニックの入っているビルの図書館に少しだけ寄りました。図書館は4階でクリニックは3階。クリニックの裏口のドアに「本日は都合により診療終了させて頂きます」と書かれた紙が貼ってあった。今日は日曜日だからお休みなので、昨日貼られたものということになる。何だろう?もしかして先生の体調が悪くて途中で診察できなくなってしまったのかも…一昨日見たときもとても疲れているようだったし。心配でたまらなくなります。まあ杞憂でしょう。他の仕事があったとかそんな理由だと思う。先生のことは本気で心配になってしまう。たいせつなひとだから。自分のことなんて放っても先生のことを考えてしまう。心配というネガティブなものでも、先生のことを考えると気持ちが落ち着く。ずっと先生のことばかり考えていようか。死ぬまでずっと。
いつものカフェに来てます。他人の言葉が耳に障ります。くだらない人間。苦しんでいない気楽な人間。妬ましいより悔しい気持ち。他人のことはどうでもいい。土日限定の店員さんがいなくてちょっと残念。土日限定のパンは買えた。お店が混んでくると孤独感が強くなる。やはりひとりはつまらないと感じてしまう。空いているときはひとりでも居心地がよいのだけど。他人を意識しているということか。まだまだ修行が足りませんね。悟りを開くのはそう簡単ではない。僕は人間らしい弱い人間です。だけど弱いと自覚しているから本当は強いのかな。自分の弱さを自覚することは大切なことだと思う。自分のことを知るということ。自分自身と向き合うこと。


傍で仕事の話をされると本当に不快になる。不快指数上昇する。僕は現実逃避をするために外に出るのです。現実から目を逸らすために自分の居場所に行くのです。それなのに他人のせいでそれができなくなる。僕のほうが場違いなのか?そうならそれでも構わない。この世で生きていること自体場違いなのだから。僕は社会不適合者。それでも一向に構わない。社会のほうが狂っているかも知れない。僕のほうが正常なのかも知れない。異常な社会に適合できない僕は正常だと考えることだってできるはず。多数派が正常で少数派が異常だとは限らないのです。沈黙の螺旋


すべてを消し去りたくて掃除をした。憂鬱な気持ちは消えません。すべてを壊したい。自分さえ。消えてしまいたい。脳が制御不能。言葉と考えと行動。どれも役に立たない。すっかり駄目になってしまいました。こんなときは先生のことを思い浮かべてみる。あとは気持ちが落ち着くまでほっとくだけ。


鬱がひどいときはニュースの音を聞くと苦しくなる。くだらない。僕には関係ない。どうでもいい。うるさくてたまらない。他人がどうしたとかまるで関心がないよ。明日の天気しか興味がない。情報なんて最低限でいいんだ。知りたくもないのに押し付けられる感じ。うるせーよ。何も見たくない。何も聞きたくない。勝手に騒いでいればいいさ。世の中なんて作られた偽りの世界。僕は騙されない。脳内世界が真実なのです。


明日は早起きして仕事をしなければならない。嫌だ。嫌だ…結局いつも無理をする。何のために?わからない。自分でもわからないんだ。強迫観念。そうだったね。僕は真面目なんだよ。生真面目。真面目すぎて苦しむ。自業自得。先生ならどうする?嫌でも無理をするだろうね。先生は強いひとだから。やるときはやる。僕だってそうだよ。逃げてばかりいた訳じゃない。やるべきときはちゃんとやってきた。僕も強いのかな?
はぁ…先生に助けてもらうしかないな。僕のなかにはいつも先生がいるのです。僕は先生に内緒で先生に助けてもらっている。先生の知らないところで、先生の知らないうちに。僕はひとりでいるように見えて、実はいつも先生と一緒にいるのです。だから仕事をするにも先生が傍に居てくれる。だから安心感なのです。僕は先生とふたりで現実と闘っている。先生とふたりなら何も怖れるものはない。僕はひとりじゃない。だから平気だよ。ストイックに生きる姿は最高に格好いい。