妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

早く起きたので街に出てきました。ドトールに来てます。ミラノサンドBとアメリカンで遅い朝食。GWだから旅行に向かう新幹線待ち風の人達が多いな。旅行なんて行かれないし行きたくない。僕には余裕がないから。いつもと違う街だと不安になる。外は暑いけれど、店内は冷房が効いているから特に薄着はしてこなかった。夏でも半袖は着ないで長袖を七分に捲る。今年の夏は暑いだろうか。心地のよい季節なんてなくなってしまった。地球はいつか滅びるだろう。人間の手によって。どうでもいい。


いつものカフェに来てます。駅前に開店した唐揚げ専門店に長い行列ができていて笑えた。白い蔑んだ眼で横をすり抜けた。クロワッサンとラテで憂鬱なひとりランチ。昨晩のせいで眠くて気持ちも落ちている。街の華やいだ空気も僕の心を憂鬱にさせる。三日連続で外に出た。疲れているのは気持ちの落ちる理由ではないはず。つまらない。ひとりはつまらない。いつもより孤独感が強く感ぜられるせいだろうか。僕も本来ならこんな時期に外に出ようとは思わない。少し前までは土日でさえ家にいたのだ。少しずつ変わっている。僕には先生がいる。僕はひとりじゃない。


気持ちを静めるためにデパスを2錠。滑らかな舌触りとほのかな甘味。眠気がさらに増すような気がする。薬に頼りたい気分なんだ。アルコールに手を出したい気持ちもある。赤ワインを飲みたい。一人暮らしだったら飲んでいるだろう。もうどうなっても構わない。今が楽しければそれでいい。今を生きているのだ。先のことを考える必要なんてないじゃないか。今やれることをやるだけ。家に帰ったら自分の道に没頭する。先生の存在を想起せよ。


やはり疲れている。眠くてたまらない。気が滅入る。最悪の気分。やはりGWは引きこもっていたほうがよいのか。自分だけがこの世で一人ぼっちみたいな気持ち。先生の存在を想起しても無力。忙しく過ごして気を紛らすしかない。つまり不安な感情に気付かないふりをするのだ。薬やアルコールに頼りたいのも同じことだろう。ひとりで楽しむには僕は敏感過ぎる。鈍感になることが必要なのだ。中毒になっても依存になってもいい。今がすべて。先のことなど知らない。考えても余計に不安になるだけ。刹那的な生き方でも仕方ない。


小説を書こうか。絵を描こうか。ゲームをやろうか。音楽を聴こうか。本を読もうか。ひとりで楽しむにも限界がある。他人と比べるから鬱になるのか。僕は道士。修行中の身である。仲間の道士が欲しい。『もの』より『ひと』が欲しい。疲れているくせにやたら饒舌ですね。不安だからか。必死に言葉を並べて不安から逃れようとしている。これも気を紛らせているに過ぎない。すべては自分の脳内で起きている。気持ちなんて意外と単純なもの。きっかけさえあれば簡単に上がったり下がったりする。コントロールするのが難しいのだ。


今日は外に出るべきではなかったかも知れない。自分の道に没頭する時間も取れなかったし。気持ちの上がるきっかけを見つけられずにただ疲れただけだった。こういう日もある。以前もあった記憶が残っている。これでも家にいるよりはましだったかも知れない。家の中には気持ちの上がるきっかけなんてない。きっかけは外にしかない。だけどいつも見つかるとは限らない。疲れた。今日は嫌な疲れ。何もする気にならない。すべての欲をなくした。今日は仕方ない。潔く終わろう。


期待してしまったんだ。過剰に期待すると心が満たされるハードルが高くなる。結果として裏切られた形になる。期待をするのは必ずしも間違いではない。しかし期待をするとどうしても過剰になってしまう。それならできるだけ期待しないようにしたい。過剰な期待は禁物。今日一日憂鬱だった理由が分かって安心した。疲れたから早めに寝よう。