妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

こんな状態では復活なんて無理なんじゃないかという気がしている。無理をすることができないのではないだろうかと。主観的な思い込みは無理をしなければならないと考える。しかし客観的に見れば無理をしなければならないということもないかも知れないし、そもそも無理をすることができる状態にない。そんな感じがしてきた。それはあまりに鬱がひどいから。アトピーの調子だってよくならないし。無理と無謀とは違う。無理をすればできることなら、無理をしてでもやらなければならない。でも無謀なことをするつもりはない。無理か無謀かを決めるのは結局自分なんだ。本当の意味で自分のことを客観的に見るなんて不可能だと思う。自分の考えである以上、それは思い込みであり主観的なものなのだ。
苦しい。アトピーも鬱も悪いままで無理をしなければならないから。逃げたい。やはり追い込まれた。そうならないように少しずつ準備していくはずだったのに。現実はそんなにうまくいかない。もう冷静ではいられない。自分を客観視するなんて最初からできることではなかった。できていると思い込んでいただけ。もうひとりでできることじゃない。誰かの助けを借りないといけない。誰かといっても先生しかいないのだが。先生に僕の気持ちをありのままに話そうか。先生と楽しいお話をしている場合じゃなくなったんだ。今は現実的な楽しくない話をしなければならない。どう話したらよいのかわからなくなる。楽しいお話ならいくらでもできるのに。今までずっと現実から逃げてきたということだろうか。先生とお話する楽しみさえ奪われてしまう。楽しいことは何一つなくなってしまう。


現実と向き合い過ぎているのか?現実との距離感を保つのは簡単なことではないようだ。気付いたらどちらかに偏っている。でも逃げようとしても逃げられない、逃げてはいけないような気がする。だから現実と向き合う。難しい。バランス感覚を養うにはどうしたらよいのだろう。すべてはバランスが重要なんだ。病気と健康のバランスもよくしてもらいたいものだ。どうにもならないことを願っても仕方ないか。自分でできること、自分でやれることは限られている。それなら最大限やるしかない。無理をするしかない。