妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

今日はまったり行こうか。たぶんやることもないだろうし。今はそれでいいんだ。今やるべきことをやるだけ。まだ復帰訓練中だ。焦ることはない。先生の存在を想って心の支えにする。


カフェでランチしようとお店に行ったらまだ開店前だった…連休明けは一時間遅いって何だよ。気持ちが萎える。まあ仕方ないか。僕の居場所はいつものカフェであって、職場のある街のカフェではないのだから。一時間どこにも行くあてがなく無駄に疲れた。


カフェに来ました。まだ何も食べてないんだよな。さすがにお昼を過ぎたらお腹がすいてきた。マックでコーヒーでも飲んで時間をつぶそうかと思ったら、いつの間にかなくなっていた。苦痛の時間だった。田舎だなと改めて感じる。つまらない。中途半端な時間に仕事が終わると本当に何もすることがない。今の楽しみはこのカフェに来ることだけ。他に好みのお店はない。たぶん探しても見つからないと思う。
今日は結構お客が来るな。ほとんどテイクアウトの人ばかりだが。イタリアンのお惣菜を買って、弁当屋でライスだけ買って、それを今夜の夕食にしようと思う。外は雨が降ったり止んだりで不安定な天気。蒸し暑くて不快指数上昇する。アサリとトマトの入ったおそらくオリーブオイルのソースのパスタとカプチーノでひとりランチ。前食べたパスタのほうが好きだな。これもおいしいけどアンチョビの塩気が苦手なのかも知れない。やはりオイルのソースより、トマトのソースのパスタのほうが好みなんだ。昔からミートソースが一番好きだったし。スーツだから白いYシャツを汚してしまうのが嫌なんだが。どんなに気を付けても駄目なんだ。カレーうどんと同じだね。洗えば落ちるから気にしない。次からはトマトソースのパスタにしよう。


先生は患者のためになっている。そう分かる患者もいれば分からない患者もいる。分からない患者については信じるしかない。役に立っている、患者のためになっている。医師として。ひとりの人間として。自分のためであることは悪いことじゃない。人間であれば当然のこと。ひとは自分のために生きているのだから。そのことを知っていれば偽善者にはならない。


『思い込みについて』と『偽善者について』の僕なりの考えを文章にまとめて、先生に読んでもらおうと思っている。診察では伝わりにくいこともあるから。先生もしくは僕のコンディションが悪いときとか。鬱状態のときは相手の話す言葉が頭に入らない。書面で持っていれば、いつでも体調のよいときに読んでもらえる。伝えたいことがちゃんと伝わるはず。現実逃避のためでもある。つまり先生のためであり、と同時に自分のためでもあるのだ。自己を満足させるため。