妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

疲れていて憂鬱だけど街に出てきた。ドトールに来ている。久しぶりにアメリカン。ブラックは胃が痛くなる気がするのだが、これからはインスタントコーヒーを飲まなければならないから、少しでも胃を慣らしておく必要があると思った。さすがに三連休だから混んでいる。アメリカンを飲むと先生を思い出す。もう一度先生と遊びたかった。死ぬ前に先生と遊べる日は来るだろうか。


やっぱりラテのほうがいいか。インスタントコーヒーはそれを飲んでいくうちに慣れてくるだろう。目を覚ますためだけの飲み物。


いつものカフェに来た。混んでいる…三連休の真ん中か。当然だな。むしろ昨日すいていたのが不思議だ。アメリカンを飲んでも眠気がなくならない。朝デパスを飲んできたから他人が多くてもたぶん平気。海老と卵のサンドイッチのランチセットとラテでひとりランチ。周りの喧騒がお店の空気を汚している。こういうときは早めに帰るのが賢明だ。


お盆休み並みの混みかただったな…オーナーはうんざりしていることだろう。店員さんはとても忙しそうだったが、言葉を交わすことができて心が和らいだ。ひとり客は僕だけのようだった。平日なら一人の女性客も珍しくないのだが。みんな一人はさびしい。だから群れようとするのだろうか。僕はもはやひとりに慣れた。厳密には先生がいるからひとりではないけれど、実際見た目はいつもひとりだ。いつものカフェは僕の居場所。だからもし誰かと遊ぶ機会があったとしても、いつものカフェに一緒に行こうとはしないだろう。ひとりで居て心地よい、とっておきの自分の居場所なのだから。


鬱がひどくなってきている。体が重たい。何もする気にならない。息が苦しい。連休なんてあっという間だ。特に楽しいことがあった訳ではない。先生と過ごした時間は本当に楽しくて癒された。いつものカフェで店員さんと言葉を交わして心が和んだり、ひとりランチをして居心地のよさを感じたりという小さな幸せはあった。だけど足りない。また苦しまなければならない。無理をしなければならない。疲れを残したままで。せめてアトピーの調子がよくなってくれたら、そしたらだいぶ楽になるのだが。アトピーと仕事の二つの苦しみに耐えることはできない。できないことを今は無理をしてやっている。こんな無理が長続きしないことは分かりきっている。結局やれるとこまでやるしかないのか。