妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

結局5時間くらい寝たかな。騒音は深夜には気にならなかったけど、朝方やっぱり目が覚めるほどの大きな音がしたな。午前5時頃。一旦収まったと思っていたら、僕がアパートを出る9時前にまた聞こえた。不動産屋に苦情を入れたから状況がよくなるといいのだが。昼間はいいけど寝る時間は勘弁して欲しい。仕事以外の苦しみはもういらない。


いつものカフェに来ました。海老と卵のサンドイッチのランチセットとラテでひとりランチ。眠い…ひどく疲れている。途中クリニックに寄って、先生の存在をイメージした。先生はがんばっている。明日になれば先生とお揃いの楽しみが待っている。今日は楽しみのための準備をしようと思う。楽しみのための準備だから、準備さえも楽しい。
サンドイッチとラテだけでお腹が満たされた。店員さんと言葉を交わして心が満たされた。サンドイッチと言っても普通の柔らかいパンでなくて、むしろ逆に固いバゲットのようなパンなのです。疲れている割に食欲がないのはどうしてだろうか。小食のほうが調子がよくなる気がする。『ストイック』という言葉を忘れていた。意識しなくても自然にストイックになっているからかな。無意識なストイックさで生きている。だからあえて言葉にする必要もなかったのです。言葉について書類を作るつもりです。先生に渡したいと思っています。


いつものカフェ→服屋。レディースの服を試着したら、ことごとく身体にピッタリ合ってしまった。サイズさえ合えばシンプルな服は似合わないはずがない。思わぬ出費になってしまったけれど、自分へのごほうびだと思えば満たされた気持ちになれる。あらゆる欲をなくした状態にあって、ものが欲しいと思えたことは貴重だと感じる。楽しもう。今を楽しんで今を生きる。どうせいつか死ぬのだから、今を楽しんで生きるしかないじゃんかよ。楽しい。高揚感。テンションが上がっている。こういう気持ちを大切にしていきたい。僕はよくやっている。無理をしたら休む。がんばったら自分にごほうびをあげる。僕には先生がいる。僕はひとりじゃない。僕はエリート。自信を持っていいんだ。


しかし疲れた…仕事をしていれば好きなものを買うことができる。仕事をしていれば好きなものを食べることができる。仕事をしていれば生きていける。生きるというのは欲求を満たすことなのかも知れない。欲求を完全になくしたらもう生きていけない。欲求が本能的なものだとしたら、それは生存本能につながるのかも知れない。人は理性だけでは生きられない。僕らは本能よりも理性のほうが優位にある人間なのだと思う。本能と理性のバランス。これもまたバランスが重要になるのですね。