妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

通院日なので街に出てきた。ドトールでレタスドッグとカフェラテ。今日の予約時間は12時なので、いつものカフェは診察を終えてから。久しぶりにレタスドッグを食べたら結構おいしかった。昨晩ロコイドを顔につけて寝た。2、3日使って様子を見たいと思う。悪化して炎症が治まる気配がないようなら、ステを使うのも一つの方法として有効だと考える。悪化の原因は分からない。ストレスだろうか。季節の変わり目だからか。いずれにせよ簡単に取り除くことのできないものだ。昨晩寝る前に先生に渡す書類作りに没頭した。眠い目をこすりながらどうにか仕上げた。これは僕の自己満足。先生に伝えたいという欲求を満たすためのものに過ぎない。楽しもう。先生とお揃いの楽しみ。お互いに気が楽になれる楽しい時間。癒しの時間。このために僕は生きている。


昨日先生の夢を見ました。寝る前に先生に渡すための書類を作っていたからだと思います。先生の存在がまだ頭のなかに残ったまま眠ったので、夢のなかに先生が出てきたのでしょう。夢の世界は脳内の世界。毎晩先生の夢を見続けることができたらいいのにと、どうしようもないことを考えたりしている。


クリニック→いつものカフェ。いつものカフェに来ている。海老と卵のサンドイッチのランチセットとラテで遅めのひとりランチ。店員さんと言葉を交わして癒される。心が暖かくなる。眠い…先生に書類を受け取ってもらえた。それをきっかけに話が拡がった。後半は先生が悩みを口にして、僕がそれを聞いて受け止めた。先生の頼れる人が誰もいなくなって、僕しかいなくなったとしたら、僕はいつでも先生の力になりたいと思う。先生が僕に聞いて欲しくて話したのなら、後で話しすぎたと悔やむことはない。話さなければよかった、話すべきではなかったと思う必要はない。僕は先生が伝えたいことを受け取るだけ。先生が話したくないことは、僕も聞きたくない。
先生も僕と同じように仕事のことだけで精一杯のはず。他のことで苦しむ余裕はないだろう。僕は先生に頼っている。本当の意味で頼れるひとは、先生ただひとりしかいない。僕はまた先生に会えるまでがんばる。お揃いの楽しみに向かって、毎日その日を消化することを重ねる。僕は先生がいるから生きている。先生の存在を支えにして生きている。


楽しい時間はあっという間に過ぎる。診察が時間より内容だという考えとかぶる。中身が充実していると時間が短く感じる。楽しい時間が終わるとさびしい。それは楽しかった時間を振り返るから。楽しい時間が終わったら、次にあるはずの楽しい時間のことを考えよう。そしたら寂しさよりも楽しみという期待のほうが優位になる。