妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

パスタのお店に来ている。イチジクのタルトとルバーブのタルトとカヌレカプチーノでひとりカフェ。パスタのお店と言っても最近は全然パスタを食べる機会がないな。しかし他に呼び方が見つからない。外は日差しが強い。朝晩との気温差が激しい。イタリアンのお惣菜を確保した。久しぶりに目玉焼きがあったので迷わず注文した。今日の夕食のメインはこの目玉焼きだ。
明日からついに一日勤務が始まる。帰る頃にはもう真っ暗です。仕事帰りに外で食べてしまって、それからアパートに戻れたらいいのだが。期待はできそうにない。一昨日のせいですっかり気持ちが落ちてしまった。こういうときは先生のことを考えるしかない。今週は先生に会える。4度その日一日を重ねたら先生に会える。僕は無理をする。先生とお揃いで無理をする。無理をして休んだから、また無理をする。先週の疲れはどうしても今週まで引きずる。肉体的な疲れは癒えているつもり。だけど精神的な疲れはいつまでも残っている。先週の疲れというより先週までの疲れといったほうが正しい。ひどく疲れているんだ。先生とお揃いの楽しみのための先生とお揃いの苦しみ。だからきっと耐えられる。僕には先生がいる。僕はひとりじゃない。自信を持って生きていく。


共感し合えるとうれしい。「そうだよねー。」とか「わかるー。」とか言い合えると楽しい。気が楽。心を許し合える。無防備。ありのままの自分を認めてもらえる。『共感』というものを突き詰めて考えてみようか。その価値はありそうだ。


やるべきことを終えたら、ゆっくりする時間は余らなかった。まあパスタのお店でひとりカフェしたからいいか。ヒゲを適当に短くしたら後は寝るだけ。今朝は久しぶりに遅く起きたからまだ眠くならない。また先生と夢で会いたいと思う。


適当にとはいえ時間がかかってしまう。本当に意識して適当にやらなければいけない。時間をかけてもハサミでは限界がある。それなら時間をかけても意味がない。これからは開き直って、意識して適当にやろうと思う。週一しか短くしないというのも、かなり開き直っているつもりなのだが。僕は病気持ち。できるだけ、なるべく、それなりにやればいい。誰に何と言われようと、僕は病気持ちとして生きることしかできない。普通に健康な人達と同じことはできない。明日のために眠ろう。夢見がよいといいな…おやすみなさい。