妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

街に出かける。外は明るい薄曇りで落ち着くけれど、風が冷たいので日差しがないと少し寒い。もうアウター着てる観光客もちらほら。もうすぐ11月になるのだからおかしくはない。ちょっと遠出をして用事を済ませたら、すぐにいつものカフェに行く。何だかもうお腹がすいている。昨日お風呂に入る前に体重計に乗ったら43.4kgだった。夕食後の一日の中で最も数字が大きくなる時間でこれだから、朝に計れば42kg台の可能性も十分あり得る。40kg切ったらヤバいと思っている。たぶん倒れるだろう。仕事が始まって二ヶ月で3kgは減った。一応食べてはいるつもりなのだが、それ以上に心と身体に負担がかかっているのだろうか。今を楽しもう。僕には先生がいる。僕はひとりじゃない。


新幹線が10分遅れ。ホームが寒すぎて待っているのが苦痛だった。一駅しか乗らないから10分くらいで着いてしまう。ちょっぴり贅沢な気分。日の当たらない場所は寒いね。日陰者にはお似合いか…


昨日と今日で10万使ってやった。別に楽しい気持ちはない。テンションも特に上がらない。半分は仕事のための物だし。やりたくもない仕事を、少しでもやる気にさせるために買った。それだけ。疲れた。もうしばらくは何もいらない。欲しい物も必要な物もないだろう。お金で買えないものが欲しい。


ひどく疲れてしまったので、いつものカフェに行こうか迷ったけれど…結局いつものカフェに来てます。海老と卵のサンドイッチのランチセットとラテでひとりランチ。海老がちょうどラストひとつで間に合った。これは何か運命的なものを感じてしまう。お店はすごく混んでいる。やはり土日はこんな遅い時間でも混むのですね。席もひとつだけ空いていた。運がいいね。ここは僕の居場所。二番目だけど。一番目はもちろん先生の前。僕がどこまでも僕のままでいられる僕の居場所。変わらないものはない。けれど今はまだ変わらない。変わらないうちは変わることを考えなくていい。変わらないまま終わるかも知れないし。変わらないまま僕が死んでしまうかも知れない。僕のほうが変わってしまう可能性だってある。変わることを恐れる必要はないのです。周りが変われば、自分もそれに合わせて変わればいい。『変わること』。これも考えるべき重要なテーマとなり得る。


遠出した街のドトールジェノベーゼカルツォーネとカフェラテで、すでに軽いひとりランチを済ませている。昨日高速バスで休憩するサービスエリアのドトールで初めて食べた。地元のドトールではカルツォーネは扱いがなかったのです。昨日食べておいしいと思って気に入ったんだ。
二度目のひとりランチを食べ終えた。店員さんたちと言葉を交わして癒される。これだ!僕が欲しいのは。お金では決して買えないもの。やはりここは僕の居場所。疲れていても来てよかった。お腹も心も満たされた。ごちそうさま。


すげー疲れた。でも精神的な疲れはかなり癒えた。買い物をするよりも、馴染みの店員さんたちと言葉を交わすほうが楽しい。僕にはふたつの居場所がある。僕らの中には何処にも居場所がないひとがたくさんいる。僕はいつもひとり。だけど実際ひとりじゃない。そんな風に思えるのは自分の居場所があるから。自分で見つけた居場所。居場所はきっと外にある。だから引きこもっていても何も変わらない。気持ちの上がるきっかけは外にある。そう考えて僕は外に出続けた。気付いたら居場所ができていた。僕の存在が許される場所。居心地のよい場所。僕は今生きている。これからもちゃんと生きていけたらと思う。テンションが上がっている。低めに持ってきて落ち着ける。自分の気持ちを制御する。僕はまだ死んでない。まだまだいける気がしている。すべては自分の脳内で起きている。僕はよくやっている。自信を持って生きていく。