妄想と記憶

人生にくじける孤独な妄想と記憶

一緒に不幸のままでいたかった。お揃いの苦しみ。幸せな人が生きづらいと言っても説得力がない。どのくらい幸せなの?本当に幸せなの?


反則だな。ルール違反。仲間じゃない。味方だけど仲間じゃない。


傷ついた心。死にたいと思う。もう僕の居場所はない。おしまいだ。


僕が変わった。いや先生も変わったよ。楽しいほうに変わった。僕は苦しいほうにしか変わらない。先生のほうが先に変わった。先生が変わったから僕も変わった。先生は楽しいほうに。僕は苦しいほうに。
いつものカフェでいつものひとりランチをした。海老と卵のサンドイッチのランチセットとラテ。ずっと飽きない僕の定番。ビンテージのカップアンドソーサーを買った。黄色くて小さくて可愛い。店員さんに量ってもらったら、見た目より意外とたくさん入った。180mlくらいかな。実用にも使えるということで買うことにした。黄色いプレートは持っているけど、同じ黄色でも微妙に違う。ビンテージのほうがくすんだ優しい色。元からなのか経年劣化のせいなのかは知らない。今のほうがはっきりくっきりした色。帰り際に明るく送り出された。憂鬱な気持ちが少し楽になった気がした。また来週。来週はどうなっているのか。今の僕には明日のことさえ分からない。生きているのか死んでいるのか。おそらく死んだように生きている。やはりここは僕の居場所なのかな。僕の存在が許される、僕という存在を認めてもらえる。まだどうにかやっていけるだろうか。無理をしていつものカフェに来てよかった。


先生は僕のもうひとりの自分という意味合いがあった。それが最も重要なことのような気がしている。そう考えるとすべての説明がつく。先生にもうひとりの自分を重ねていた。苦しみを分け合うことができた。僕は僕のなかにもうひとりの自分を作り出していた。先生という名のもうひとりの自分。先生が僕を必要としてくれているとはっきり分かれば、割り切ることができるかも知れない。僕は自分の気持ちをありのままに先生に伝えるだけ。そこから先は今はまだ考えなくていい。僕だけが苦しむ必要はない。きっかけは先生にある。先生にも僕と同じように苦しんでもらう。


もう先生に依存はしない。同じ立場で精神的なテーマを話し合う。精神科医同士みたいな関係になる。そういう意味での仲間。


もうどうでもいい。先生のことさえ。何もかも嫌になった。何も考えたくない。ただただ死にたいだけ。ひどく疲れている。休みが必要だ。


これから何のために生きていけばいいのやら…わざわざ苦しんでまで無理をして生きる理由がない。死にたくても死ねないから?死にたいなら死ねると思う。死ねないのは本当は死にたくないから。まだ期待しているの?もうさっさと諦めて楽になりたい。


可哀想だな。自分があまりに可哀想だ。


今まで特別だったことも、慣れてしまえば当たり前になってしまう。だけど今日のいつものカフェでの帰り際の光景は、今思い返しても心が暖かくなる。
しかしこのショックからは立ち直れそうにない。悪い冗談であって欲しい。せっかく元に戻った信頼関係が揺らいでしまう。先生には幸せになって欲しい。だけど本音は僕と一緒に死ぬまで苦しんで欲しかった。僕は死ぬまで苦しむことが決まっているから。これは決して思い込みなんかじゃなく、現実的に考えて導き出される結論だ。僕は先生とお揃いの苦しみなら耐えられると思っていた。先生は僕の心の支えだった。時が解決するだろうか。僕の苦しみはより一層増している。先生は…先生は…疲れた。眠いから寝るよ。おやすみなさい。